- 要旨: 婆羅痆斯国はヒンドゥー教の聖地でありながら、釈迦が初めて説法した鹿野苑(サールナート)を擁する仏教の重要な聖地でもあると記す。
地理と風俗
- 周囲四千余里、大都城は殑伽河(ガンジス川)に臨み長さ十八、九里・幅五、六里に及び、人口が多く裕福とする。
- 人々は温厚で学問を重んじるが多くは外道を信じ仏法を敬う者は少ないとする。
- 伽藍三十余か所、僧徒三千余人が小乗正量部を学び、天祠百余か所に一万余人の異教徒がおり、多くが大自在天を奉じ、断髪や灰を塗るなどの苦行を行うとする。
- 城東北の無憂王建立の仏塔の前には、常に釈迦の姿が映るとされる石柱があるとする。
鹿野伽藍
- 婆羅痆河東北の鹿野伽藍は八区画からなる壮麗な伽藍で、僧徒千五百人が小乗正量部を学ぶとする。
- 中心の精舎には転法輪の印を結ぶ仏像が安置され、その西南の無憂王建立の仏塔・石柱は釈迦が初めて説法した(初転法輪)場所とする。
- 周辺には、憍陳如ら五人がかつて苦行を捨てた釈迦を見限って離れ瞑想した場所、五百人の独覚がともに涅槃に入った場所、過去三仏の遺跡などが伝わるとする。
弥勒・釈迦の授記の塔
- 過去三仏の経行跡の傍らには、釈迦がかつて弥勒菩薩に「将来仏になるだろう」と予言(授記)した場所とされる塔と、迦葉波仏が護明菩薩(釈迦の前世)に同様の予言を授けた場所とされる塔があるとする。
- その南には過去四仏の経行の跡を刻んだ石があるとする。
三つの龍池と釈迦の遺跡
- 伽藍西の三つの池はそれぞれ釈迦が沐浴・食器洗い・洗濯に用いたと伝え、龍が住むとされ、敬意を欠いて水を汲むと害を受けるという言い伝えを記す。
- 洗濯池の傍らの石には釈迦の袈裟の跡が残るとし、これを踏みつけた外道が龍の怒りで嵐に遭ったという逸話を記す。
象・鳥・鹿王の本生譚
- 池の傍らの塔は、釈迦が過去世に六牙の象王として、袈裟を着た猟師(実は象牙を狙う偽装)に敬意を払って自ら牙を折って与えたという逸話の地とする。
- その傍らの塔は、釈迦が過去世に鳥として、猿・象と共に年長者を敬う秩序を教え広めたという逸話の地とする。
- さらに大林の塔は、釈迦と提婆達多がそれぞれ鹿の群れの王であった前世の物語(両群が交代で王への供物として一頭ずつ差し出す約束をした中、身重の雌鹿の身代わりを申し出た鹿王の慈悲に王が感銘を受け、以後鹿を狩らないと誓ったという「施鹿林」の由来)を記す。
憍陳如ら五人が仏を迎えた塔
- 伽藍西南の大塔の傍らの小塔は、太子(釈迦)の苦行を見限って去った五人の修行者が、悟りを開いた釈迦を迎えた場所とする。
- 浄飯王が太子を見守るよう命じた五人が、苦行と快楽のいずれが正しい道かで意見を分かち、最終的に太子が乳粥を受けて苦行を離れたことに失望して去ったが、悟りを開いた釈迦が彼らを訪ね、当初は無視しようと申し合わせていたにもかかわらずその威光に打たれて自然と出迎え、教えを受けて悟りに至ったという経緯(初転法輪の前段)を詳しく記す。
烈士池の伝説
- 施鹿林東の涸れた池(救命池、烈士池)には、仙術を極めようとした隠者が、長年恩を売って見つけた恩義に厚い男を「一夜黙って刀を持つ」役に立てて仙術を完成させようとしたが、男が幻視の中で恩人を裏切ってしまったという苦悩から思わず声を上げてしまい、術が破れて隠者が火難に遭ったという長い逸話を記す。
- 男はその後、恩に報いられなかったことを悲しんで憤死し、これにちなみこの池が「救命池」「烈士池」と呼ばれるようになったとする。
三獣塔
- 烈士池西の塔は、釈迦が過去世に、狐・兎・猿とともに暮らす中、老人(帝釈天の化身)を試すために食を求められた際、兎だけが何も持ち帰れず、自ら火に身を投じて自分の肉を捧げたという逸話の地とし、これが月の兎の伝説の由来になったと伝える。