大唐西域記拘屍那揭羅國

  • 要旨: 拘屍那掲羅国は釈迦が入滅した娑羅双樹の地であり、涅槃・荼毘・舎利分配にまつわる一連の聖跡を伝える。

地理と現状

  • 城郭は崩れ荒廃しており、人口も少ないとする。

準陀の旧宅

  • 城内東北の無憂王建立の仏塔は、釈迦に最後の食事(供養)を捧げた準陀の旧宅跡とし、その井戸は今も清らかな水を湛えるとする。

娑羅林と釈迦涅槃の地

  • 城西北、川を渡った先の娑羅林の四本の高い木の下が釈迦入滅の地とし、大きな磚造りの精舎には北を頭にして横たわる涅槃像があり、傍らに無憂王建立の仏塔と、入滅の事跡を記す石柱(日付は記されていないと注記)があるとする。
  • 入滅の年代について、部派により入滅からの経過年数に諸説があることを記す。

雉王が火を防いだ本生譚

  • 精舎の傍らの仏塔は、釈迦が過去世に雉として、山火事の中で羽に水を含んで飛び、無力を嘲る帝釈天に「今はただ最善を尽くすのみ」と答えたところ、帝釈天がその心に打たれ水を降らせて火を消したという逸話の地とする。

鹿が溺者を救った本生譚

  • その傍らの仏塔は、釈迦が過去世に鹿として、山火事から逃げる動物たちのために自ら体を張って川を渡らせ、最後に力尽きて溺死したという逸話の地とする。

善賢(スバッドラ)が悟りを得た場所

  • その傍らの仏塔は、釈迦の入滅間際に教えを乞うた老修行者スバッドラ(蘇跋陀羅)が入滅した場所とする。
  • スバッドラは阿難に制止されながらも釈迦に直接教えを請い、四年間の試行を経ずとも「人の行い次第だ」との言葉で出家を許され、その夜のうちに阿羅漢果を得て、釈迦の入滅を見ることに堪えられず自ら先に入滅したという逸話(釈迦の最後の直弟子であったとする)を記す。

執金剛神が悲しみに倒れた場所

  • その傍らの仏塔は、釈迦の入滅を見た執金剛神(密迹力士)が悲しみのあまり杵を落として倒れ伏したという場所とする。

釈迦入滅にまつわる神異

  • 釈迦は入滅に際し「如来の法身は常住であり、変易を離れている、怠らず解脱を求めよ」と説いたとし、諸天が七日間の供養を望んで荼毘を延期させたという逸話を記す。
  • 摩耶夫人が天から降りて悲しんだ際、釈迦が金の棺から起き上がり合掌して母を慰めたという伝承を記す。

荼毘の地

  • 城北、川を渡った先の仏塔は釈迦の遺体が荼毘に付された場所とし、灰や炭の混じった黄黒い土から今も舎利が見つかることがあると伝える。
  • 荼毘に際し、大迦葉が到着するまで火がつかなかったが、迦葉が礼拝すると自然に火が起こったとし、釈迦が棺の中から三度姿を現した(腕・座した姿・両足)という伝承を記す。

八王による舎利の分配

  • その傍らの無憂王建立の石柱の仏塔は、釈迦の舎利を求めて集まった八か国の王に対し、拘屍那の力士たちが当初拒んだが、婆羅門の仲裁で舎利を八等分することになり、さらに天・龍・人間の三分(各八分割)に分けられたという「八王分舎利」の顛末を記す。

大邑聚と羅怙羅神の伝説

  • 分舎利塔の西南の大邑聚には、仏教を篤く敬う裕福な婆羅門が僧坊を営んでいたが、設賞迦王による仏教弾圧で僧の往来が絶えていたところ、ある日老いた沙門が現れて供養を受けた際、乳粥の味に涙し「これは仏在世の頃、竹林精舎で清流を用いていた時代には及ばない、人天の福が減じたためだ」と語り、自らが釈迦の子・羅怙羅(ラーフラ)であり、正法を守るためまだ入滅していないと告げて姿を消したという逸話を記す。