大宋中興通俗演義第六十五回 岳飛、大理寺の獄に下される (下岳飛大理寺獄)
週三畏、職を捨てて逃れる
- 週三畏は帰宅後、岳飛のような功臣がこのような辱めを受ける世の理不尽さを嘆き、韓信・伍子胥の故事を引いて自らも張良・范蠡のように身を引くべきだと考える。奸賊の言いなりになって岳飛を冤罪に陥れるよりはと、官服を脱ぎ道服に着替えて出奔する。
何鑄も審理を拒む
- 秦檜は週三畏の逐電を知って激怒するが、まず岳飛父子の始末を優先し、何鑄に取り調べを急がせる。何鑄も岳飛の無実を悟っており、秦檜に「証拠がなく、大将を無実の罪で殺せば士卒の心を失う」と直言して引き下がる。
万俟卨・元龜年による酷刑
- 秦檜は自分の意のままになる御史大夫万俟卨と大理寺評事元龜年に取り調べを委ねる。二人は岳飛を過酷に拷問し、指を挟んで折るなどの拷問を数ヶ月続けるが自白は得られない。
- 元龜年の提案で「淮西への進軍を遅らせた」件を追及するが、岳飛は御札で進軍停止を命じられた証拠があると反論。秦檜はその証拠となる詔勅類を岳飛の家から先回りして没収させ、証拠を消す。
- 続いて朱仙鎮からの撤兵の遅れを謀反の証とする追及に対し、岳飛は中原回復目前で撤退を余儀なくされた無念と忠誠を切々と訴えるが、聞き入れられず、自ら供述書(招詞)を書くことを申し出る。
岳飛の招詞
- 岳飛は生い立ちから各地の転戦、忠義を尽くしてきた経緯、秦檜ら奸臣によって陥れられた無念を綴った供述書を書き上げ、無実を天地に誓って提出する。万俟卨らはこれを自白と認めず、なおも拷問を続ける。
諸臣の抗議とその末路
- 大理寺卿薛仁輔・寺丞李若樸・何彦猷らが秦檜に岳飛の冤罪を訴えるが、聞き入れられず全員左遷される。
- 判大宗正寺趙士傪も一族百人の命を懸けて岳飛の無実を保証するが、同じく退けられる。
- 韓世忠は秦檜に直談判し、岳飛父子に謀反の実がないと訴えるが、秦檜は「その事実ははっきりしないが、おそらくあったのだろう(莫須有)」と答え、韓世忠は「その『莫須有』の三字でどうして天下を納得させられるか」と憤る。韓世忠はさらに秦檜の専横を弾劾する上疏を行うが聞き入れられず、自ら官を辞して咸安郡王に封じられ、以後は政事から身を引いて隠棲する。
- 民間人劉允升も岳飛の冤罪を訴え出るが、秦檜により捕らえられ、獄中で死に至る。