大宋中興通俗演義第六十六回 秦檜、詔を偽り岳飛を殺す (秦檜矯詔殺岳飛)
東窗の密議
- 秦檜は岳飛父子と張憲を二ヶ月にわたり拷問させたが、岳飛は服罪しなかった。多くの者が岳飛の冤罪を訴えていた。
- 大晦日、秦檜は都堂から帰り、火鉢の傍らで妻の王氏と向き合いながら思い悩んでいた。柑子の皮を剥きながら黙り込む夫を見て、王氏が理由を尋ねる。
- 秦檜は、岳飛父子を大理寺に送り万俟卨・元龍年に拷問させているが、二ヶ月近く経っても自白させられず、朝廷に露見することを恐れていると打ち明けた。釈放するのも不安だという。
- 王氏は火箸で灰に「虎を捕らえるのは易しいが、虎を放つのは難しい」と六文字を書き、秦檜を決断させた。秦檜は密書を認め、老吏に持たせて大理寺の万俟卨へ届けさせた。
風波亭の死
- その夜、牛のような大流星が二つの小星を伴って落ち、雷のような音を立てた。二更頃、万俟卨は獄卒に岳飛を風波亭へ連れ出させた。
- 岳飛は「風波亭」の額を見上げ、月長老の言葉を早くに信じていればこの災難に遭わずに済んだのにと天を仰いで嘆いた。獄卒は麻縄で岳飛を絞殺した。十二月二十九日、享年三十九であった。
- 翌日、岳雲・張憲も市に晒され処刑された。連座した者は子鵬・孫革ら六人。岳雲は享年二十三。
- この日、黒い霧が四方を覆い、昼過ぎに晴れると烈しい風が吹き荒れ、木を折り家を壊した。城内外で聞いた者は皆涙を流し、岳飛の旧部下の官軍たちは喪服を着て神主を祀った。
遺骸の秘匿
- 獄卒たちは三人の遺骸を牢の外へ引き出した。義を重んじる者がひそかに、岳飛父子の功績を思い、後日の詮索に備えて遺骸を九曲の裏道に運び、田螺の殻を積んで覆い隠した。岳飛の腰にあった紫色の絨の帯だけは形見として保管された。
弔いの詩文
- 霞城の聞益朋、銭塘の姚震、浦城の張琳、金華の洪兆が、それぞれ岳飛を悼む詩を残した。いずれも高宗が忠臣を顧みなかったことを恨み、南渡の宋の社稷を岳飛が支えたにもかかわらず奸臣の計にかかったことを嘆く内容。
- 衢州の徐応も『祭岳王文』を著し、岳飛の義烈と忠良を讃え、奸計により冤罪で命を落としたことを痛惜し、その名は天地とともに大きく、その徳は日月と光を争うと結んだ。
秦檜の後始末と論功
- 秦檜は岳飛を殺した後、後世の悪名を恐れ、子の秦熺に国史編修を任せ、自分に関わる詔書・章疏を焼却させた。また士大夫の私史編纂を禁じる上奏を行い、高宗はこれを許可した。
- 秦檜に取り入った逗俊は観察使副総管に、岳飛を陥れた万俟卨は枢密使に昇進した。秦檜の意に逆らう者は貶められ、重ければ斬られた。
- 張俊は秦檜と共謀して岳飛父子を殺した張本人だが、事が成った後も兵権に固執したため、秦檜は台臣の江邈らに弾劾させた。張俊は恐れて辞退を申し出、官職と兵権を奪われ醴泉観使に落とされ、悔やんでも及ばなかった。