大宋中興通俗演義第四十五回 鎮汝軍にて岳雲、功を立てる (鎮汝軍岳雲立功)
岳雲の初陣志願
- 偽斉軍が何家寨の鎮汝軍に屯兵していると知り、岳飛は牛臯・王貴・董先に一万の兵で攻撃させることにした。子の岳雲は同行を志願したが、岳飛は「張俊すら敵わぬ精鋭だ」と止めた。岳雲がなおも強く願い出たため、岳飛は「甲冑を着け馬に乗り三矢を的の中心に当てられれば許す」と条件を出した。
- 岳雲が試技に臨んだところ、下賜されたばかりで慣れない馬が躓き落馬した。岳飛は激怒し斬罪を命じたが、諸将三十九人が跪いて赦しを乞い、岳飛は「牛臯に従い五千で鎮汝軍を破れ、功なくば帰るな」と命じて出征させた(岳雲が父の威を借りて牛臯に従わぬことを恐れての厳しい処置だったという)。
鎮汝軍の戦い
- 牛臯・岳雲は南風を天佑と見て、山や沢を背にした陣を敷き、林中に岳家の旗を多く立てて疑兵とし、王貴には馬に草人形を乗せた偽兵、董先には牛車に旗を立て枝を引きずらせ塵を巻き上げる偽装部隊を担当させた。
- 偽斉の徐文と対峙し、岳雲は銅錘を振るい単騎で劉復雄・徐文の二将と渡り合い、劉復雄を討ち取った。徐文は疑兵の旗を見て「岳爺爺の軍が来た」と敗走。
- 徐文は東山へ逃れる途中、伏兵していた張俊に討ち取られた。劉麟は劉猊の敗走・徐文の戦死を知り撤退、楊沂中・王徳に追撃されて大損害を受けた。孔彦舟も光州の囲みを解いて退いた。
岳雲の功績と岳飛の謙譲
- 牛臯・岳雲は勝利して帰陣したが、岳飛は諸将の功のみを賞し、岳雲の功は隠して報告しなかった。張濬はこれを知り「岳飛が恩栄を避け、子の第一の功を隠すのは廉直だが公平とは言えない」として朝廷に上表し、岳雲への恩賞を進言した。
- 高宗はこれを喜び岳雲を左武大夫忠州防禦使に任じたが、岳飛は「子への恩賞は近い功に基づくべきでない、まだ大功と言えない」として三度辞退の表を上げたが、朝廷は許さなかった。
岳飛の離間工作
- 金の兀朮は岳飛の東下を知り、間者を岳飛軍に送り込んだが捕らえられた。岳飛はこれを既知の間者と偽って安心させ、蠟書(劉豫との内通を装う偽の密書)を股に隠させて金軍へ送り返した。
- 兀朮はこの偽書を見て岳飛・劉豫の内通を疑い、驚いて黎陽から撤退。金へ帰り熙宗に報告した結果、熙宗は劉豫の無能を怒り問責、劉豫は恐れて謝罪した。これが劉豫廃立の発端となった。
評語
なし