大宋中興通俗演義第十七回 高宗、車駕を杭州へ走らせる (高宗車駕走杭州)
岳飛の連戦連勝
- 撻懶が濟南府を得て胙城縣に侵攻すると、東京留守杜充は岳飛を派遣。岳飛は鞏宣贊と合流して撃破し、黒龍潭でも大勝した。
- 汜水関では金の猛将を弩で射殺して敵陣を混乱させ、竹蘆渡まで追撃。夜に葦柴を槍先に縛った奇襲隊を三手に分けて放火・突撃させ、敵将撒裡乾を討ち取る大勝利を収めた。
- 杜充がこの戦功を高宗に奏上し、岳飛は武功郎に昇進、張憲らも褒賞された。
黃・汪の専横
- 高宗は黄潜善・汪伯彦を左右僕射に任じ、政事はこの二人に一任された。二人はひたすら追従して帝の意に迎合し、高宗は外患を憂えず、忠義の士のみが苦しむ状況が続いた。
岳飛、汴京の賊軍を撃退
- 王善・曹成ら賊首が五十万の衆を集めて汴京に迫った。杜充は岳飛にすべてを託し、岳飛はわずか八百の兵で出撃。
- 岳飛は「賊は烏合の衆」と諭し、牛皋ら数名を率いて自ら敵陣に突入。賊は総崩れとなり、王善らは敗走した。
- 城中の士女・官民は歓喜し、杜充はその功を上奏、高宗は岳飛を武略大夫・英州刺史に任じた。
杜充、東京を放棄
- 金の粘罕が二十万、兀朮が二十万でさらに南侵し開德府を陥落させたとの報に、杜充は建康への撤退を決意。
- 岳飛は「中原の宗廟・皇陵を守らずしてどこを守るのか、いま棄てれば再び取り戻すには数十万の兵を要する」と強く諫めたが、臆病な杜充は聞き入れず夜のうちに建康へ逃れた。岳飛はやむなく従った。
大名府の陥落と郭永の忠死
- 金の粘罕が大名府に迫ると、知府張益謙は郭永・裴億と防戦を協議。堅守策を取ったが救援は届かず、一月余りの籠城で食糧が尽きた。
- 益謙は降伏に傾いたが、郭永は大丈夫たれと諫めた。しかし益謙は聞かず開城降伏。
- 金将斡裡朵は、ただ一人抗戦を説いた郭永を呼び出し懐柔しようとしたが、郭永は「犬羊の輩に降るものか」と罵り、短剣で斡裡朵を刺そうとして失敗、一族もろとも処刑された。見る者は皆涙した。
評語
- 後人の詩は、郭永が屈膝を潔しとせず節義を貫いたことを称える。
高宗、揚州から避難
- 金の粘罕は大名府を得たのち天長に侵攻、劉光世は敗走し天長も陥落。
- 揚州の高宗はこの報に驚愕し、わずかな供回りのみで単騎で逃れ、瓜州から小舟で長江を渡り鎮江府へ至った。
- 黄潜善・汪伯彦は法要に興じていて事態を知らず、慌てて後を追った。揚州の民は我先にと逃げ惑い、多数が死傷し二人を怨嗟した。誤って潜善と間違われた司農卿黄鍔が兵士に殺される事件も起きた。
揚州の焼亡
- 金軍は高宗の南渡を知り揚州城を焼き払い、官民の家屋を焼き尽くした。太廟の神主も混乱の中で一部失われた。
評語
- 後人の詩は、高宗君臣が危機に際して呆然とし、宰相が事の重大さを理解していなかったことを風刺する。
杭州への遷幸と黃・汪の失脚
- 高宗は浙江へ移り、太后・王妃らも合流。行宮を定め、劉光世・楊惟忠・朱勝非・張濬・王淵・呂頤浩・張俊らに要地の守備を分担させた。
- 群臣は黄潜善・汪伯彦の失政二十余件を弾劾し、二人も自ら退任を求めたため、高宗はやむなく潜善を江寧府知府、伯彦を洪州知州に降格させ、二人は都を去った。