大宋中興通俗演義第十八回 苗傅、乱を起こし新君を立てる (苗傅作亂立新君)

王淵の専寵と苗傅の恨み

  • 黄潜善・汪伯彦の失脚後、葉夢得・張徵が左右丞となり、赦令が出されて多くの左遷者が復官したが、李綱だけは赦されなかった。
  • 知樞密事の王淵は帝の意を巧みに迎え、内侍の龔文・韓碩・康履らと結託して権勢を振るい、内外に忌み嫌われていた。
  • 朝会に遅参した統制苗傅を王淵が弾劾し、高宗は一時官爵剥奪を命じたが、葉夢得・朱勝非のとりなしで罪を免れた。苗傅はこれを深く恨み、報復を企てる。

謀議の結成

  • 苗傅は副軍の劉正彥、総管の黄大昇と語らい、王淵殺害の計を練る。さらに南昌出身の元盗賊・王世修を招き入れた。
  • 王世修は「幼帝は暗愚で内侍が専横している。皇子(魏国公旉)は仁慈で人望があるから、高宗を廃し皇子を立て、隆祐太后に垂簾聴政させて宦官を一掃すべき」と献策。一同はこれに賛同し、決行の手はずを定めた。

王淵殺害と宮中への突入

  • 王世修が三千の兵を率いて城北橋で王淵を待ち伏せ、供回りを斬り散らして王淵を斬首。
  • 苗傅・劉正彥・黄大昇らも合流し、行宮になだれ込んで王淵の首をさらし、内侍の龔文・韓碩を斬殺した。

高宗、苗傅らの要求に屈す

  • 内侍の康履が事態を高宗に急報。高宗は朱勝非を遣わして事情を問わせたが、苗傅らは「王淵は内侍と結託して謀反を図ったので誅した、天子には無関係」と主張し、なおも押し入った。
  • 高宗自ら楼上に姿を現すと、苗傅は康履・曾澤の誅殺も要求。高宗はやむなくこれを許し、康履・曾澤は腰斬され梟首された。
  • それでも兵を退かぬ苗傅は、ついに「皇子への譲位」を要求。高宗は動揺し、朱勝非を通じて説得を試みさせたが苗傅は応じず、太后の詔を求めた。
  • 顏岐が隆祐太后を楼に招き、苗傅らを諭したが聞き入れられず、朱勝非の進言により高宗はやむなく皇太子への禅位を受け入れた。

明受改元と苗傅の専権

  • 苗傅らは皇太子(魏国公旉)を即位させ、隆祐太后が臨朝聴政、高宗は「睿聖仁孝皇帝」として顕寧寺に移された。改元して明受とし、大赦を行う。
  • 苗傅・劉正彥・黄大昇らが要職を占め、王世修・呉湛が尚書左右僕射となり、朝廷内外は震え上がった。

外鎮の動きと苗傅の対策

  • 半月ほどで各地にこの変事が伝わり、平江の張濬・呂頤浩らが挙兵勤王の動きを見せる。
  • 苗傅は劉正彥と対策を協議し、太后の名で檄文を発して「皇太子擁立の正当性」を諸郡に示し、王淵らを誅した理由を説明して疑いを解こうと図った。