陳書卷三十二 列傳第二十六(孝行) 張昭

兄弟の孝行

  • 張昭、字は徳明、呉郡呉の人。幼くして孝性があり、父母への奉養は謹み礼に違わなかった。父の熯は常に消渇を患い鮮魚を嗜んだため、昭は自ら網を結んで魚を捕り朝夕に供した。弟の乾、字は玄明は聡敏博学でこれも至性があった。父が卒すると兄弟はともに綿帛を着ず塩酢を口にせず、日にただ麦屑粥一升を食べるのみで、感慟のたびに嘔血した。隣里はその哭声を聞いてみな涕泣した。父の服喪が終わらぬうちに母の陸氏もまた亡くなり、兄弟はついに六年の間哀毀骨立し、親友でも見分けがつかないほどであった。
  • 家が貧しく大葬ができず、布衣蔬食で十余年、門を閉ざし人事を絶った。当時、衡陽王伯信が郡に臨み乾を孝廉に挙げたが固辞して就かなかった。兄弟はともに毀傷で疾を得、昭は片目を失い乾もまた冷えの病に苦しみ、ともに五十に満たぬうちに家で没した。子の□(底本欠字)はともに絶えた(跡継ぎが絶えたことを指すか)。

補記――孝家里の由来

  • 高宗の代、太原の王知玄という者が会稽剡県に僑居し家にあって孝で聞こえ、父の喪に居て哀毀のあまり卒した。高宗はこれを嘉し、その居所であった清苦里の名を「孝家里」に改める詔を下した。

史論

  • 人倫の徳で孝より大きいものはない。ゆえに本に報い始に反り、性を尽くし神を窮めるのはまさに孝である。孝を勉めずしてはならない。礼記にいう「天地に塞がる」とはこのことであり、まことに盛んなことである。