出自と歴任
- 蕭濟、字は孝康、東海蘭陵の人。少くして学を好み経史を博通し、梁武帝に左氏の疑義三十余条を諮ったところ、尚書僕射范陽の張纘・太常卿南陽の劉之遴がともに討論に加わったがいずれも対抗できなかった。梁の秘書郎から起家し太子舎人に遷り、侯景平定の功により松陽県侯・邑五百戸に封じられた。
- 高祖が徐方に鎮した際、明威将軍・征北長史とされ、承聖二年、中書侍郎に徴され通直散騎常侍に転じた。世祖が会稽太守となると宣毅府長史とされ、司徒左長史に遷る。世祖即位後、侍中を授けられ、太府卿に遷るも生母の喪により拝せず。済は世祖・高宗の二主に仕え恩遇が篤く、賞賜は他に勝った。蘭陵・陽羨・臨津・臨安等の郡を守り、いずれも声績を挙げた。
- 太建初め、五兵尚書に入り、左僕射徐陵・特進周弘正・度支尚書王瑒・散騎常侍袁憲とともに東宮に侍し、司徒長史に再任、度支尚書・羽林監領を授けられ、国子祭酒・羽林監領に遷り、金紫光禄大夫を加え安徳宮衞尉を兼ねた。仁威将軍・揚州長史に遷り、高宗が揚州曹事を取り自ら見た際、済の条理詳悉・文に滞害無きを見て「私はもともと蕭長史は経伝に長じるだけと思っていたが、繁劇の処理にもこれほど精練とは」と語った。祠部尚書に遷り給事中を加えられ、再び金紫光禄大夫に任じられようとしたが拝せぬうちに卒した。時に年六十六。本官を贈られ喪事は官給された。