陳書卷十六 列傳第十 趙知禮

高祖側近としての活躍

  • 趙知禮、字は齊旦。天水隴西の人。父孝穆は梁の候官令。知禮は文史を渉猟し隷書に長けた。高祖の元景仲討伐時、薦められ記室參軍となり、文章は速く軍書の起草に優れ皆意にかなった。高祖に近侍し謀議に多く参与、高祖の侯景討伐で白茅灣に至り梁元帝・矦僧辯への上表・軍事論述はいずれも知禮の作。侯景平定後、中書侍郎・始平縣子(邑三百戸)。高祖が司空となると従事中郎、高祖入輔後は給事黄門侍郎・兼衛尉卿、高祖受命後は通直散騎常侍・直殿省、まもなく散騎常侍・守太府卿・權知領軍事。天嘉元年、伯に進爵し增邑通前七百戸。王琳平定後、持節督呉州諸軍事・明威將軍・呉州刺史。知禮は沈静で謀略あり、軍国の大事は世祖が常に璽書で諮った。任期満了後、明威將軍・太子右衛率、右衛將軍・領前軍將軍に遷る。六年、卒。時に年四十七。侍中を贈られ諡は忠、子の趙允恭が嗣いだ。