隋唐演義第九十回 忠貞を誓って顔真卿は義兵を起こし、妒忌に遭い哥舒翰は軍を失う (矢忠貞顏真卿起義 遭妒忌哥舒翰喪師)
秦氏兄弟の復職と将帥の人事
(詞:世が乱れて初めて忠臣が知れること、権臣の疑忌が名将を潰す様を詠む)
復職した秦国模・秦国楨は、許遠を睢陽太守に、郭子儀・哥舒翰の登用を進言し、玄宗はこれを容れる。安禄山軍は洛陽(東京)へ迫り、封常清は素人同然の急造軍で敗退、洛陽は陥落し、留守の李憕・盧奕・蔣清は投降を拒み殺された。封常清・高仙芝は潼関に退いて守りを固めたが、監軍の宦官辺令誠の讒言により、玄宗の勅命で二人とも処刑されてしまう。
顔真卿・顔杲卿兄弟の義挙
平原太守顔真卿(顔子の後裔)は反乱を予見して密かに防備を固め、安禄山の使者が三忠臣の首級を見せびらかしに来た際にはこれを斬って弔い、周辺の諸郡と連携して義兵を挙げ盟主に推された。玄宗はこれを聞いて「河北二十四郡に義士一人もいないのか」と嘆いていた矢先だけに大いに喜んだ。
真卿の従兄・顔杲卿も常山太守として偽って安禄山に帰順した上で挙兵し、安禄山配下の将を討ち取ったが、太原尹王承業の功績横取りと張通幽の妨害により援軍を得られず、常山は陥落、杲卿は捕らえられ舌を切られてなお賊を罵り続けて殺された(後に肅宗の代になって名誉回復された経緯も語られる)。
郭子儀・李光弼の反攻と哥舒翰の敗北
郭子儀は朔方節度使に、李光弼は河東節度使に任じられ、常山を奪還するなど反攻に転じた。一方、潼関を守る哥舒翰は、守りを固め機を待つ方針を貫いていたが、部下の王思禮が楊国忠討伐を進言したことが国忠の耳に入り警戒される。楊国忠は敵将崔乾祐の陣が手薄と見せかけていることを口実に、玄宗に出撃を強要させた。哥舒翰・郭子儀・李光弼・顔真卿らはこぞって固守を進言したが容れられず、厳しい勅命に哥舒翰はやむなく出撃、崔乾祐の伏兵と火計により潼関の大軍二十万はほぼ壊滅し、哥舒翰自身も部下の裏切りにより安禄山軍に捕らえられ降伏を余儀なくされた(この裏切り者・火拔帰仁も後に安禄山自身に処刑される)。潼関陥落の報は長安の朝廷に衝撃を与えた。
評語
冒頭の詞と地の文で、太平の世には見えぬ忠臣の値打ちが乱世で初めて明らかになること、そして権臣の猜疑が名将を死地に追いやり国を危うくすることを繰り返し嘆いている。