隋唐演義第八十四回 幻術は屏風の上に美女を戯れさせ、小遊仙は空中に音楽を奏でる (幻作戲屏上嬋娟  小遊仙空中音樂)

虹霓屏の怪異

(詞:屏風の美女が姿を現し名乗りを上げる不思議な出来事を詠む)

怪異は正しき心には近寄らぬが、奸邪の者には妖孽が生じるものだという前置きから始まる。楊国忠・虢国夫人ら楊家一族の驕奢ぶりが描かれ、上巳の日に曲江で行った盛大な修禊の様子(杜甫「麗人行」に詠まれた情景)が語られる。玄宗はこれを喜び褒賞を与え、楊貴妃の願いにより、隋代の遺物とされる名品「虹霓屏」(歴代美人の像を彫った屏風)を楊国忠に下賜した。

ある日楊国忠が独り屏風を眺めて空想にふけっていると、屏上の美女たちが夢うつつに姿を現し、彼を「誤国の鄙夫」と厳しく詰り、笑いながら屏に戻っていった。恐怖した楊国忠はこれを楊貴妃に告げ、玄宗は方士の張果(通元先生)・葉法善(尊師)に相談した。二人は「妖は人の邪念から生ずる」とし、法善が霊符を焼いて鎮めたところ、以後は怪異が収まった。

張果老と葉法善の神通

玄宗は張果の正体を法善に問い、法善が「混沌の初めの白蝙蝠の精」と明かした途端に血を吐いて倒れたが、張果が杖で打つと蘇生した。また玄宗が毒草「烏堇草」を酒に仕込んで張果に試したところ、張果は平然と飲み干し、眠って目覚めると黒くなった歯を吐き捨てて白い歯に生え変わらせるという神技を見せた。

上元の夜の幻遊

上元の夜、玄宗は張果・葉法善のみを招いて宴を催した。法善は術で玄宗を西涼府に一瞬で連れて行き、酒肆で玉如意を質に酒を飲んで戻った(後日使者が実際にこれを請け出し、幻でなかったことが確認される)。さらに張果は腰帯を投げて虹の橋を作り、玄宗・高力士・伶人らを従えて広陵の灯会を見物させた。広陵の地でも同夜、空中に彩雲と仙楽が現れたとの奏上があり、玄宗はますます神仙の術を信じるようになった。

霓裳羽衣曲の由来と張果の辞去

かつて玄宗が月宮に遊んだ夢で聞いた曲を基に作られたのが「霓裳羽衣曲」であったことが語られる。玄宗は張果を厚遇し、玉真公主を娶らせようとしたが、張果は王屋山に既に妻がいると固辞し、葉法善と共に京にとどまった。

葉法善の「追魂碑」

法善は旧知の李邕に亡き祖父の碑文の執筆と揮毫を頼んだが、李邕は法善の術を快く思わず拒んだ。法善は夜中に術で李邕の魂を呼び寄せ、眠っている間に碑文を書かせてしまい、翌日それを示して李邕を驚かせた。この碑は「追魂碑」と呼ばれるようになり、朝廷はますます神仙の道を信じ、方士が続々と登用されるようになった。回末、鄂州から方士羅公遠が推挙され京に呼ばれる。