隋唐演義第八十一回 寵愛にふけり洗児の儀に銭を賜り、君王を惑わせ使者の前で髪を切る (縱嬖寵洗兒賜錢 惑君王對使剪髮)
秦氏兄弟の諫言と李林甫の専権
(詞:寵愛された安禄山が「洗児」の礼を受け、剪髪した楊妃が再び寵を得る様を詠む)
好色は人情の常だが節度を欠けば体面を損なうとの前置きから始まる。翰林の秦国模・秦国楨兄弟は連名で、爵賞の濫発と女寵の過剰、そして安禄山を宮中に自由に出入りさせる弊害を諫める上疏を行ったが、玄宗の不興を買い、賀知章らの取りなしでかろうじて処罰を免れ致仕させられた。奸相李林甫はこれを機に諫官を威圧し、以後諫言は絶えた。玄宗は国庫の充実を見て驕り、政事を李林甫に委ねきりとなった。李林甫は楊国忠と表面上和し、安禄山の心事も見抜いて操り、私利を図った。
楊貴妃と安禄山の「洗児」
楊国忠と安禄山は義兄妹の契りを結ばされ、栄達を極めた。虢国夫人ら三夫人にも厚い賜与があった。安禄山の誕生日、楊貴妃は酔いに任せて安禄山を赤子に見立て「洗児」の戯れを行い、輿に乗せて宮中を練り歩かせた。玄宗もこれを笑って見物し、洗児銭を下賜した。
梅妃の楼東賦
寵を失った梅妃は、楊貴妃への荔枝の献上ぶりに対し梅花が絶えて久しいことを嘆き、高力士に頼んで自ら「楼東賦」を作り玄宗に献じた。玄宗は昔日を思い心を動かされたが、これを知った楊貴妃は激怒し梅妃の処刑を求めた。玄宗は取り合わなかったものの、楊貴妃との間に隙間風が吹くようになった。
楊貴妃の追放と剪髪
ある宴席で楊貴妃が寧王の玉笛を勝手に吹いたことを玄宗に咎められ、楊貴妃は梅妃の一件を引き合いに出して口答えし、玄宗の逆鱗に触れて実家へ送り返されてしまった。楊国忠一族と安禄山は動揺したが、表立って動けなかった。玄宗も後宮の寂寥に耐えかね、高力士の入れ知恵で楊国忠が酷吏の吉温を通じて執り成しを図った。楊貴妃は使者の霍韜光に、罪を詫びつつ自らの髪を一綹切って玄宗への謝罪の証として献上した。玄宗はこれに深く心を動かされ、夜のうちに楊貴妃を宮中に呼び戻し、以前にも増して寵愛するようになった。
評語
作者は、この時玄宗が楊貴妃を思い切って遠ざけていれば禍を防げたはずだと惜しみ、未練から復縁させたことが後の傾国の因となったと評している。