隋唐演義第七十一回 武才人は髪を蓄えて宮に還り、秦郡君は坊を建てて寵を求める (武才人蓄髮還宮  秦郡君建坊邀寵)

感業寺での別れ

高宗の来訪を受け、武媚娘は還俗して宮中に戻ることが決まる。馮小寶(懐義)は自らの境遇を受け入れ、武才人・懐清・小喜の三人に恩義を誓う。庵主の長明尼も小寶を甥として送り出した。

武才人立后

高宗は武氏を昭儀に召し、寵愛は増す一方となる。武昭儀は自らの娘を王皇后のせいに見せかけて殺害し、皇后廃立の口実とする。褚遂良ら重臣は反対するが、李勣の「陛下の家事」との一言が決め手となり、王皇后・蕭淑妃は廃されて武氏が皇后に立てられた。武氏は前皇后らを惨殺し、実家一族に高位を与え、馮小寶を白馬寺の住職に任じた。

二聖の政と嵩山行幸

高宗の目の病を機に、政務の多くが武后の裁断に委ねられるようになる(「二聖」と称された)。嵩山への行幸で武后が詩を詠み、高宗はその才を讃えた。この頃、李勣が没する。

薛仁貴と鬥鶏檄文

薛仁貴の武功が語られ、また若き王勃が沛王・周王の鬥鶏に興じて書いた檄文が高宗の怒りを買い、放逐される逸話が語られる。王勃は滕王閣の宴で即興の名文「滕王閣序」を作り、名声を高める。

貞烈表彰の詔

武后は「貞烈の坊を建てる願い」を偽善として退け、代わりに八十歳以上の高齢女性を郡君に任じ宴を賜る詔を出す。秦叔宝の母(百五歳)らが招かれて祝われ、秦家には「福奉双高」の坊が建てられた。

評語

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