隋唐演義第七十回 隋の蕭后は柩を遺して墓に帰り、武媚娘は髪を剃られ寺に入る (隋蕭后遺梓歸墳 武媚娘被緇入寺)
蕭后の死
太宗の寵愛は武才人に集中し、蕭后は疎んじられて憂愁のうちに病を得て世を去った。太宗は手厚く葬らせ、皇后の位号を復して煬帝と合葬させた。
太宗の晩年と功臣の死
太宗は金石薬を服用して体調を崩しながらも、高士廉の葬儀に赴こうとして諫められる。凌煙閣に功臣二十四人の肖像を掲げ、徐世勣の病には自ら鬚を剪って薬とするなど、老臣たちへの厚情を示す。
女主武氏の予言と武才人の処遇
「唐三代の後に女主武氏が天下を取る」との讖言が広まり、太宗は武臣の中に「武」の名を持つ者を誅するなどして疑心を強めるが、李淳風の諫言で無用な粛清を思いとどまる。太宗は病篤くなる中、武才人に暗に処分を仄めかすが、才人は自ら尼となることを願い出て出家、感業寺に入ることとなった。
武才人と晋王(後の高宗)の密通
武才人は出家前、既に晋王李治と密かに情を通じ、後日の立后を誓わせていた。出家後は実家に帰る間に養子の武三思とも密通するなど奔放に振る舞う。
感業寺にて
感業寺では、庵主・長明尼の弟子である懷清(実は女貞庵の李夫人の妹)と再会し、その恋人・馮小寶(後の薛懐義)とも知り合う。懐清と小寶の艶めいた贈答の詩や、寺内での享楽的な様子が描かれる。
太宗の崩御と武氏の再会
貞観二十三年、太宗は長孫無忌・褚遂良・徐世勣らに後事を託して崩御し、太子が即位して高宗となる。高宗は太宗の忌日に感業寺へ参詣し、そこで馮小寶と武氏に再会する。高宗は馮小寶を出家させて白馬寺へ移し、武氏には密かに還俗の準備を命じて去った。
評語
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