隋唐演義第五十六回 生きた人を食らい朱燦は獣心を露わにし、父に代わり従軍し木蘭は孝を尽くす (啖活人朱燦獸心  代從軍木蘭孝父)

朱燦懐柔の策

秦王・徐懋功は長安を発ち汴州へ至った。懋功は、王世充の背後を突く前に、淮南から逃れて楚王に封じられた朱燦を動かし、王世充討伐に協力させる策を献じた。朱燦は人食いの悪名高い人物だったが、秦王は「共通の敵を利用する」との懋功の説に従い、学士段慤を使者に立てて朱燦を説いた。

段慤の惨死

朱燦は旧友の段慤を歓待し出兵を快諾したが、酒宴の席で段慤が朱燦のかつての人食いの悪癖を揶揄したため朱燦は激怒し、段慤を斬って料理させてしまった。従者は逃げ帰り秦王に報告、秦王は激怒するが、折よく李靖が林士弘討伐の途中で張善相の帰順を得て合流し、朱燦討伐を買って出た。

花木蘭の出征

物語は転じて、河北の花弧(字は乗之)の娘、花木蘭を紹介する。父の従軍の年齢に達し、弟妹はまだ幼く、木蘭は男装して父の代わりに従軍することを決意する。両親は反対するが、木蘭の強い意志により出立が決まり、周囲の人々も彼女を男と信じて送り出した。木蘭の出征後まもなく父・花乗之は病死し、母・袁氏は幼い弟妹を連れて再婚した。

秦叔宝と尉遅恭の一騎打ち

一方、秦王・徐懋功は劉武周軍と戦い数郡を回復。柏壁関で秦叔宝と尉遅恭(敬徳)が数度戦うも決着つかず、両者は「並力法」と称して大石を武器で打ち割る力比べを行い引き分けとなる。この賭け事が宋金剛・劉武周の耳に入り、敬徳は処罰されそうになるが、寛大な処置で介休の糧秣守備に左遷された。

柏壁関の陥落と介休攻防

徐懋功は諸将を差し向けて柏壁関を攻め、守将尋相は唐に降伏。宋金剛の兵は大敗し、劉武周は北へ退いた。敬徳は介休へ向かう途中、王簿・羅士信の計により糧草を焼かれ、介休城に籠城することになった。秦王が降伏を勧めるが、敬徳は「劉武周の消息を見極めるまでは降らぬ」と拒む。

劉武周・宋金剛の最期

その頃、唐の使者劉世讓が突厥の曷娑那可汗と結んだところ、劉武周・宋金剛は曷娑那可汗のもとへ逃げ込んだが、可汗は彼らを謀殺し、首級を唐に献じた。秦王はこれを尋相を通じて敬徳に示し、敬徳は主君の死を悼んで祭祀を営んだ後、ついに介休城を開いて唐に降った。秦王は敬徳を厚遇し、唐主は敬徳を左府統将軍に、劉世讓を并州太守に任じた。

評語

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