隋唐演義第五十二回 李世民は恩に感じて友の母を救い出し、寧夫人は計に惑わされ他郷へ逃れる (李世民感恩劫友母 寧夫人惑計走他鄉)
脱出行と秦叔宝への思い
秦王・劉文静・徐義扶・恵英の一行は金墉城を離れ、夜を徹して馬を進めた。秦王は道中、秦叔宝の厚情に深く感謝し、早く彼を唐に迎えたいと願う。劉文静は、秦叔宝も本心では唐に帰りたいが、魏の勢いがまだ盛んなこと、瓦崗寨以来の義兄弟たちとの絆、単雄信が義盟の首として生死を共にすると誓っていることから、簡単には離れられないと説明した。
徐義扶は、秦叔宝の母(秦母)と妻の張氏がまだ瓦崗にいることを利用し、秦叔宝の縁戚である幽州総管羅芸の夫人になりすまして秦母を誘い出し、唐に迎える計略を提案、秦王も賛同した。
恵英との道行き
千秋嶺で恵英の靴が脱げるひと幕があり、秦王自ら靴を拾って恵英に返すなど、道中で二人の間に情が通うようになった。一行は覇陵川に至り、劉文静は秦王の危難がかえって恵英という良き伴侶を得る福となったと語った。
長安帰還と恵英の入宮
潼関の手前で袁天罡・李淳風・李靖らの出迎えを受け、秦王は無事長安へ帰還。竇太后との再会を果たし、被難の顛末を奏上した。唐主は秦叔宝・徐世勣・魏徴の恩義を深く胸に刻むと述べ、徐義扶父娘を厚遇するよう命じ、義扶を上大夫に、恵英を一品夫人(徐恵妃)として秦王の妃とし、西府の軍務にも参与させた。秦叔宝からの謝表も届き、唐主は恩返しの日を待ち望んだ。秦王は李靖・徐義扶に兵二千と宮女を付け、瓦崗へ秦母を迎えに向かわせた。
李密の敗色と処罰
一方、李密は僵師で凱公を降して戦勝したものの、河北への進軍で竇建德配下の王綜に敗れ負傷、さらに徐立本が秦王らを逃がした事件を知って激怒し、金墉に戻って魏徴・徐世勣・秦瓊を処罰しようとしたが、祖君彦・賈潤甫らの取りなしで南牢に禁固するにとどめた。
秦母を騙して迎える計
瓦崗の秦母のもとに「幽州の羅老将軍の使い」と称する者が訪れ、羅夫人からの祝儀と船上での対面を求めてきた。秦母・張氏・程知節の母(程母)らは相談の末、連巨真を護衛につけて出向くことにした。船に着くと、そこにいたのは羅夫人に扮した徐恵妃で、船中に李靖もおり、秦懐玉(秦叔宝の子)とも対面した。船は次第に進み、秦母たちは事の真相に気づかぬまま長安へと向かった。
やがて張氏・秦母は徐恵妃から真相(秦王の恩義に報いるための計略)を明かされ、事情を理解した。程母だけは酔って眠り込み、真相を知らぬままだった。
賈潤甫との遭遇
途中、魏の旗を掲げた船が接近し、李靖の兵に捕らえられた者は、実は連巨真の知人である賈潤甫であった。賈潤甫は王世充への糧秣の督促のために出向いていたところだった。李靖は賈潤甫の器量を試すべく一芝居打ち、後に縄を解いて丁重に迎えた。
賈潤甫は、李密が徐立本の脱走を怒って秦叔宝・魏徴・徐世勣を南牢に禁固したこと、その後王世充への借糧をめぐる不手際(開倉の日取りの禁忌、鼠害による糧秣の激減、程知節を「征猫都尉」に任じて猫の徴発を命じたことなど)、蕭銑からも借糧の要求があり李密が窮したため三人を赦免し、秦叔宝・羅士信を蕭銑討伐に、徐世勣を黎陽に、魏徴を洛倉の守備に配したことを語った。秦懐玉は父の投獄を知って号泣し、李靖に兵を借りて金墉を攻めたいと申し出るが、賈潤甫はまず様子を見るよう諭した。賈潤甫は連巨真に瓦崗へ戻るよう促し、自らも別れを告げて去った。李靖はその人物を惜しみ、唐への帰順を勧めたが、賈潤甫は「時勢を見て身の振り方を決める」と述べて辞去した。
評語
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