隋唐演義第三十六回 観文殿で虞世南は詔を起草し、愛蓮亭で袁宝児は命を軽んじる (觀文殿虞世南草詔 愛蓮亭袁寶兒輕生)
清夜遊の後日談
清夜遊の余韻に浸る煬帝は朱貴兒への未練を抱くが、寶林院の沙夫人が前夜の遠出で早産し男児を死産したとの報せを受け、見舞いを決める。
高麗遠征と長城修築の詔
朝見で裴矩から高麗が朝貢を怠っていると聞いた煬帝は激怒し、宇文述を総帥、来護兒を副使として遠征を命じるとともに、長城修築も宇文愷に命じる。
麻叔謀の帰還と広陵行幸の準備
広陵への河道開削を終えた麻叔謀が復命し、煬帝は龍舟の建造を王弘に命じ、虞世基の提案で錦の帆と綱、吳越の少女による「殿脚女」千名を用意させる。虞世基はさらに、遠征の名を借りて実は広陵への遊幸を果たす策を進言し、煬帝は喜んでこれを採用する。
虞世南の詔書
沙夫人の見舞いを後回しにした煬帝は、自ら遠征の詔書を書こうとするが筆が進まず、袁寶兒の勧めで虞世基の弟・虞世南を召して代筆させる。虞世南はたちどころに見事な詔を書き上げ、煬帝は感嘆する。
袁寶兒の誤解と投身
詔を書く虞世南に見とれる袁寶兒を見た煬帝は戯れに「明日そなたを世南に賜ろうか」と言うが、寶兒は本気にして絶望し、こっそり池に身を投げる。従者に助け上げられた寶兒に、煬帝は戯言だったと弁明し、韓俊娥・朱貴兒も交えて事なきを得る。
趙王の後継と王義の来訪
寶林院の沙夫人を見舞った煬帝は、亡くした子の代わりに趙王楊杲(呂妃の遺児)を沙夫人の養子とすることを告げ、夫人たちは感謝する。そこへ延年の膏薬を献上に来た王義が呼ばれ、広陵行幸への同行と、趙王を沙夫人の子とする玉符の作製を命じられる。