隋書卷六十四 列傳第二十九 沈光
禅定寺の曲芸と遼東での武勇
沈光、字は総持。呉興の人。父の君道は陳の吏部侍郎で陳滅亡後長安に家した。皇太子勇に学士として登用されたが後に漢王諒の府掾となり諒の敗北で除名された。光は驍捷で戯馬に長け、書記に通じ詞藻もあったが小節に拘らず京師の悪少年と交わり、貧しい家計を支えた。建設中の禅定寺で切れた幡竿の綱を口に銜えて登り、結び直して掌で着地するという曲芸を見せ「肉飛仙」と呼ばれた。大業中、遼東征討に応募し出征の際「功名立てられねば高麗で死ぬ」と誓い、沖梯で城を攻めた際に敵と斬り合い十数人を斬った後、垂れ下がった綱で再び梯子に登る活躍を帝に絶賛され朝請大夫、後に折衝郎将に抜擢された。
宇文化及暗殺計画と戦死
江都の変で帝への復仇を志し、宇文化及の給使を統べる立場を利用し、麦孟才・錢傑の暗殺計画に加わり「先帝の恩に報いる好機」と涙して同意した。計画は陳謙の密告で漏れ、化及は「麦鉄杖の子と沈光は勇決で恐るべし」と恐れ夜のうちに逃走、司馬德戡に鎮圧を命じた。光は事態発覚を知って甲冑もつけずに化及の営を襲ったが空振りに終わり、舎人元敏を斬り、德戡の兵に包囲されるも数十級を斬って囲みを破ったが弓矢で射られ戦死した。時に28歳。麾下数百人も一人も降伏せず戦死し、壮士は皆涙した。