隋書卷五十五 列傳第二十 爾朱敞

北斉の粛清を逃れて隋へ

  • 爾硃敞、字は乾羅、秀容契胡の人、爾硃栄の一族の子。父の爾硃彦伯は司徒・博陵王に至った。斉の神武帝が韓陵の戦いに勝つと爾硃氏を尽く誅殺したが、敞は幼く母に伴われ宮中で養われた。
  • 十二歳になった時、竇(穴)から抜け出し大街に至り、そこで遊ぶ童子たちを見つけると、身に着けていた綺羅金翠の服を脱ぎ着替えて逃げた。追手の騎兵が至ったが最初は敞と気づかず、綺羅の服を着た別の子を捕らえた。事実が判明した頃には日も暮れており敞は難を逃れた。
  • 一つの村に入り、長孫氏の老婦が胡床に座っているのを見て再拝し哀を求めると、長孫氏は憐れんで壁の隠し部屋に匿った。三年の間、懸賞は厳しさを増し追及の手が迫ると、長孫氏は「事態は急だ、これ以上は留められない」と言い、資を与えて逃がした。敞は道士を装い姓名を変えて嵩山に隠れ経史を学んだ。数年のうちに人々は彼を只者ではないと見るようになった。
  • ある時、独り岩の下に座り涙を流して「私はこのまま終わるのか。伍子胥は一体何者であったろうか」と嘆いた。ひそかに姿を変えて西の周へ帰ると、太祖はこれを見て礼遇し大都督・行台郎中を拝し霊寿県伯(食邑千五百戸)に封じた。通直散騎常侍に遷り、車騎大将軍・儀同三司に転じ侯に進爵。保定中、使持節・驃騎大将軍・開府儀同三司に遷った。天和中、食邑五百戸を加えられ信州・臨州・熊州・潼州の四州刺史を歴任し公に進爵。

北斉滅亡後の恩返しと晩年

  • 武帝の東征に従軍を願い出て許された。攻城陥陣すべて敵を破り上開府に進んだ。南光州刺史を拝し入朝して護軍大将軍となる。一年余り後、膠州刺史に転じた。この頃、恩人の長孫氏とその弟を家に迎え厚く資給した。
  • 高祖受禅後、辺城郡公に改封された。黔安の蛮が反乱すると命により敞がこれを討平した。師の帰還後、金州総管を拝し、まもなく徐州総管に転じた。在職数年、明肅と称され民吏は畏敬した。のち老年により骸骨を乞う上表をし二頭立ての軺車を賜り河内に帰り、家で卒した。時に七十二歳。子の爾硃最が跡を継いだ。