生涯
- 韋師、字は公穎、京兆杜陵の人。父の瑱は周の驃騎大将軍。師は沈謹な性質で至孝、幼学の頃『孝経』を読み「名教の極みはここにある」と感嘆した。父母の喪に礼を尽くし孝行を称された。長じて経史に通じ騎射を得意とした。周の大塚宰宇文護に中外府記室として引かれ賓曹参軍に遷り、諸蕃の風俗・山川に通じ夷狄の朝貢の応対を任され信頼された。斉王憲の雍州牧就任時は主簿を兼務、武帝親政では少府大夫、斉平定後は山東の安撫を詔され賓部大夫に遷った。
- 高祖の受禅後、使部侍郎に拝され井陘侯邑五百戸を賜り、河北道行台兵部尚書、山東河南十八州安撫大使を歴任し奏事が旨に称い銭三百万を賜り晋王広の司馬を兼ねた。族人の世康(吏部尚書)と勝負意識を持っていた。晋王が雍州牧の際、楊雄・高熲が州都督となり師を主簿に引いたが、世康の弟世約が法曹従事として師の下に置かれたことに世康は憤慨し世約を杖打った。
- 醴泉宮への行幸に従い高熲・韓擒らと臥内で旧事を語り合う宴を賜った。伐陳の役で元帥掾を兼ね陳国の府蔵を委ねられ秋毫も犯さず清白と称された。長寧王儼に女を妃として納れた。汴州刺史として治名あり官に卒し諡を定という。子の徳政が嗣ぎ大業中に給事郎に至った。