隋書卷三十二 經籍一 經
序
経籍とは、機神の妙旨、聖哲の能事であり、天地を経め陰陽を緯め、紀綱を正し道徳を弘め、仁を顕して物を利し、身を修めて独りを善くする拠り所である。学ぶ者は栄え、学ばぬ者は衰える。大業がこれを尊べば欽明の徳を成し、匹夫がこれを念ずれば王公の重みを得る。王者が風声を樹て、教化を美しくし風俗を移すのも、この道によらぬものはない。『詩』の教えは温柔敦厚、『書』の教えは疏通知遠、『楽』の教えは広博易良、『易』の教えは潔静精微、『礼』の教えは恭倹荘敬、『春秋』の教えは属辞比事とされる。時に応じて制を宜しくし、質と文を交互に用い、通変と中庸をもってこれに応じる。中庸なれば久しく、通変なれば大いに為しうる。その教えは的確でその用は窮まりない。まさに仁義を陶冶し道徳を鼓吹する道具である。その用は大きく、時に随う意義は深く、言葉では言い尽くせない。「速からずして速やかに、行かずして至る」というのはこのことをいう。今によって古を知り、後によって今を知るのも、この道理による。それゆえ大道が広く行われる時代には亀の甲羅や象の紋様を観て卦を設け、後の聖人は鳥の足跡を仰いで文字を作った。書契が伝わってからは結縄は使われなくなり、史官が立てられてから経籍が興った。
経籍とは、先聖が龍図を拠り所とし鳳紀を握り、南面して天下に君臨した者が皆史官を置き、言行を記録させたことに由来する。言えば左史がこれを書き、動けば右史がこれを書いた。「君の挙動は必ず記録される」といい、これによって懲戒と勧奨が行われた。『三墳』『五典』『八索』『九丘』の類がこれにあたる。殷・周に至ると史官はさらに整備され、言を記し事を書くことに漏れがなかった。『周礼』によれば、太史は邦の六典・八法・八則を掌り王の政治を助言し、小史は邦国の記録を掌り世系を定め昭穆を分ける。内史は王の八柄を掌り策命を副える。外史は王の外令と四方の記録、三皇五帝の書を掌る。御史は邦国都鄙万民の治令を掌り塚宰を助ける。天子の史官はこの五種があった。諸侯もそれぞれ国史を置き職を分掌した。『春秋伝』では晋の趙穿が霊公を弑した時、太史董狐が「趙盾其の君を殺す」と書いて朝廷に示した。宣子が「そうではない」と言うと、「あなたは正卿でありながら、逃亡しても国境を越えず、戻っても賊を討たなかった。あなたでなければ誰であろうか」と答えた。斉の崔杼が荘公を弑した時、太史が「崔杼其の君を弑す」と書いたため崔子はこれを殺した。その弟が跡を継いで書き、2人が死んだ。さらに弟が書くと崔子はついに諦めた。南史は太史がみな死んだと聞いて簡を執って向かい、既に書かれたと聞いて引き返した。楚の霊王が右尹子革と語った際、左史倚相が趨り過ぎた。王は「これは良史であり『三墳』『五典』『八索』『九丘』を読める」と言った。このように諸侯の史官も1人ではなく、皆言行を記録し、太史が総裁して国家の典籍とした。美を偽らず悪を隠さぬことで懲勧の効を得た。『左伝』が引く『周志』や『国語』の『鄭書』の類がこれである。
周室の道が衰え、紀綱が乱れ、国ごとに政が異なり家ごとに風俗が異なると、褒貶は実を失い旧章は崩れた。孔子は大聖の才をもって傾頹の運に当たり、鳳鳥が至らないことを嘆き文がここに墜ちることを惜しみ、『易』の道を述べ『詩』『書』を刪り、『春秋』を修め『雅』『頌』を正した。壊れた礼楽もみなその所を得た。哲人が没して微言が絶え、七十子が散じて大義が乖離すると、戦国の縦横の時代には真偽の見分けがつかず諸子の言が入り乱れた。聖人の至徳は失われ先王の要道も亡び、秦に至るまで乱れは進んだ。秦の政は豺狼の心を奮い先代の跡を削り、『詩』『書』を焚き儒士を坑にし、刀筆吏を師とし挟書の令を制定した。学者は難を逃れ山林に隠れ、経典を失い口伝えに頼る者もあった。
漢が秦・項を誅し、まだ落ち着かぬうちに叔孫通に儀礼の草案を命じ、撃柱の弊を救った。その後張蒼が律暦を治め、陸賈が『新語』を撰し、曹参が蓋公を薦めて黄老を説かせ、恵帝が挟書の律を除いたことで儒者はようやくその業を民間で行えるようになった。しかし聖の代から遠く経籍は散逸し、簡札は錯乱し伝説には誤りが多く、『書』は二つに、『詩』は三つに分かれ、『論語』には斉・魯の違いがあり、『春秋』には数家の伝があるなど、混乱は多かった。これが博而寡要・労而少功と言われる所以である。武帝が太史公を置き天下の記録をまず太史に上げさせ、副を丞相に上げ、献書の路を開き写書の官を置いた。外には太常・太史・博士の蔵書、内には延閣・広内・秘室の府があった。司馬談・遷父子は代々太史を務め、前代を採集し軒皇から武帝までを断代として『史記』130篇を作った。至孝成帝の時、秘蔵の書はかなり散逸し、謁者陳農に命じて天下に遺書を求めさせた。光禄大夫劉向に経伝諸子詩賦を、歩兵校尉任宏に兵書を、太史令尹咸に数術を、太医監李柱国に方技を校させた。1書が完成するごとに劉向は目録を撰し要旨を論じ誤りを正して奏上した。向の死後、哀帝はその子劉歆に父の業を継がせ、温室の中書を天禄閣に移した。歆は諸篇を総括し要旨を撮って『七略』を著した。すなわち『集略』『六藝略』『諸子略』『詩賦略』『兵書略』『術数略』『方技略』の7篇で、総計33,090巻であった。王莽の末に再び焼かれたが、光武帝が中興し文雅を篤く好み、明帝・章帝も経術を重んじた。四方から遠路を厭わず来る鴻儒が多く、石室・蘭台には書が満ちた。東観・仁寿閣でも新書を集め、班固・傅毅ら校書郎が管理した。いずれも『七略』に依って書部とし、班固はさらにこれを編んで『漢書芸文志』とした。董卓の乱で献帝が西遷した際、図書縑帛は軍人に帷や袋として奪われた。西に持ち去られたものも70余年を経て両京の大乱で全て失われた。
魏が漢に代わると散逸した書を集め、秘書中・外の三閣に蔵した。魏の秘書郎鄭黙が初めて『中経』を制定し、秘書監荀勖が『中経』に基づいて『新簿』を著し4部に分けて群書を総括した。甲部は六藝・小学等の書、乙部は古今諸子・兵書・術数、丙部は史記・旧事・皇覧簿・雑事、丁部は詩賦・図賛・汲塚書とし、総計29,945巻であった。ただし題名と概要のみを記し、縹の袋に収め緗の絹に書いたが、作者の意図についての論評はなかった。恵帝・懐帝の乱で洛陽が壊滅し、宮中の文籍は残らなかった。
東晋の初め次第に収集され、著作郎李充が荀勖の旧目録で照合すると現存は3,014巻のみであった。李充は諸篇の名をまとめ甲乙の順にのみ従い、以後もこれを踏襲し変更されなかった。その後中原の遺書が徐々に江左に流れ込み、宋の元嘉8年秘書監謝霊運が『四部目録』を作り総計64,582巻となった。元徽元年秘書丞王倹がまた『目録』を作り総計15,704巻とした。倹はまた『七志』を別に撰した。『経典志』は六藝・小学・史記・雑伝、『諸子志』は今古諸子、『文翰志』は詩賦、『軍書志』は兵書、『陰陽志』は陰陽図緯、『術芸志』は方技、『図譜志』は地域・図書を記し、道教・仏教も付記して合わせて9条とした。しかし作者の意図は述べず書名の下に伝を立てるのみで、9篇の条例を巻頭に置いたが、文義は浅く典則とはいえなかった。斉の永明中、秘書丞王亮・秘書監謝朏がまた『四部書目』を作り総計18,010巻とした。斉末の兵火で秘閣が焼け経籍が散逸した。梁初、秘書監任昉が自ら整理し、文徳殿に群書を並べ華林園に釈典を集め、総計23,106巻としたが仏典は含まなかった。梁には秘書監任昉・殷鈞の『四部目録』、『文徳殿目録』があった。術数の書は別に一部とし、奉朝請祖暅がその名を撰した。これにより梁には『五部目録』があった。普通中、処士阮孝緒が沈静寡欲・篤く墳史を好み、宋・斉以来の王公家の書記を広く採集し官簿と校合して『七録』を著した。『経典録』は六藝、『記伝録』は史伝、『子兵録』は子書・兵書、『文集録』は詩賦、『技術録』は数術、『仏録』、『道録』であり、分部題目にはやや順序があったが辞義の分析は浅薄であった。梁の武帝は詩書を篤く好み、上の風化が下に及び国中の家に文史があった。元帝が侯景を平定した後、文徳殿の書と公私の経籍を江陵に集め総計7万余巻となったが、周の軍が郢に入るとみな自ら焼いた。陳の天嘉中に再び収集したが調べると欠落が多かった。
中原はといえば戦争が相次ぎ武事が務めとされ、文教の盛んなのは苻堅・姚萇の時代のみであった。宋の劉裕が関中に入り図籍を収めたが府蔵にあったのはわずか4千巻で、赤軸青紙の文字は古拙であった。後魏は初め燕・代に都し南に中原を略取し粗く経史を収めたがまだ完備していなかった。孝文帝が洛邑に遷都すると斉から書を借り秘府はやや充実した。爾朱の乱で散逸したが、後斉が鄴に遷るとさらに捜集し、天統・武平年間まで校写が絶えなかった。後周は関右で基を起こし外は強敵に迫られ日々戦に追われた。保定の初め書はわずか8千巻、後に次第に増え1万巻に及んだ。周の武帝が斉を平定した際まず書府を封じたが加えられた旧本はわずか5千巻であった。
隋の開皇3年、秘書監牛弘が使者を分遣し異本を捜訪することを上表した。1巻ごとに絹1匹を賞し校写が済めば原本は返却するとした。これにより民間の異書が次々と現れた。陳を平定した後は経籍がさらに整った。得られた書を検すると多くは太建年間のもので紙墨が粗く書も拙劣であった。これを総集編次し古本として保存した。天下の能書の士、京兆の韋霈・南陽の杜頵らを召して秘書内で残欠を補い正副2本を作り宮中に蔵し、その他は秘書内外の閣を満たし総計3万余巻となった。煬帝が即位すると秘閣の書は50部を上限として写し3品に分けた。上品は紅琉璃軸、中品は紺琉璃軸、下品は漆軸とした。東都観文殿の東西廂に屋を構えて収め、東屋には甲乙、西屋には丙丁を蔵した。また魏以来の古跡名画を集め殿の後ろに2台を建て、東を妙楷台として古跡を、西を宝跡台として古画を蔵した。また内道場に道教・仏教の経典を集め別に目録を撰した。
大唐の武徳5年、偽鄭を平定しその図書と古跡をすべて収めた。司農少卿宋遵貴に命じ船で載せ黄河を遡って京師に運ばせたが、底柱を経る際多くが漂没し残ったのは十のうち一、二であった。その『目録』も水に濡れ時に残欠を生じた。今存するものを調べると4部に分けて合計14,466部、89,666巻ある。旧録の中で文義が浅俗で教理に益のないものは削除し、旧録に遺漏していても辞義に採るべきものがあれば付け加えた。遠くは司馬遷・班固の書、近くは王倹・阮孝緒の志・録を見て、その体制の風流を汲み浮雑鄙俚を削り、疎遠なものを離し近密なものを合わせ、文を約め義を緒して合計55篇とし、それぞれ本条の下に列して『経籍志』に備えた。研幾探賾を尽くし幽隠を窮めるには至らないが、道を弘め教えを設けることに遺漏はないよう努めた。仁義礼智は国を治める道であり、方技数術は身を治める道である。諸子は経籍の鼓吹であり文章は政化の黼黻であって、いずれも治のための道具である。ゆえにこれをこの志に列する。
經
易
- 《帰蔵》13巻。晋の太尉参軍薛貞の注。
- 《周易》2巻。魏の文侯師卜子夏の伝、残欠。梁には6巻本があった。
- 《周易》10巻。漢の魏郡太守京房の章句。
- 《周易》8巻。漢の曲台長孟喜の章句、残欠。梁には10巻本があった。漢の単父長費直注『周易』4巻もあったが亡失。
- 《周易》9巻。後漢の大司農鄭玄の注。梁には漢の南郡太守馬融注『周易』1巻もあったが亡失。
- 《周易》5巻。漢の荊州牧劉表の章句。梁には漢の荊州五業従事宋忠注『周易』10巻もあったが亡失。
- 《周易》11巻。漢の司空荀爽の注。
- 《周易》10巻。魏の衛将軍王粛の注。
- 《周易》10巻。魏の尚書郎王弼が『六十四卦』6巻を注し、韓康伯が『繋辞』以下3巻を注し、王弼はまた『易略例』1巻を撰した。梁には魏の大司農卿董遇注『周易』10巻、魏の散騎常侍荀煇注『周易』10巻もあったが亡失。
- 《周易》10巻。呉の太常姚信の注。
- 《周易》4巻。晋の儒林従事黄穎の注。梁には10巻本があったが今は残欠。
- 《周易》9巻。呉の侍御史虞翻の注。
- 《周易》15巻。呉の郁林太守陸績の注。
- 《周易》10巻。晋の散騎常侍干宝の注。
- 《周易》3巻。晋の驃騎将軍王暠の注、残欠。梁には10巻本があった。
- 《周易》8巻。晋の著作郎張璠の注、残欠。梁には10巻本があった。
- 《周易馬鄭二王四家集解》10巻
- 《周易荀爽九家注》10巻
- 《周易楊氏集二王注》5巻。梁には『集馬鄭二王解』10巻もあったが亡失。
- 《周易》10巻。蜀才の注。梁には斉安参軍費元珪注『周易』9巻、謝氏注『周易』8巻、尹濤注『周易』6巻もあったが亡失。
- 《周易》10巻。後魏の司徒崔浩の注。
- 《周易》10巻。梁の処士何胤の注。梁には臨海令伏曼容注『周易』8巻、侍中硃異集注『周易』100巻、また『周易集注』30巻もあったが亡失。
- 《周易》7巻。姚規の注。
- 《周易》13巻。崔覲の注。
- 《周易》13巻。傅氏の注。
- 《周易》1帙10巻。盧氏の注。
- 《周易繋辞》2巻。晋の桓玄の注。
- 《周易繋辞》2巻。晋の西中郎将謝万らの注。
- 《周易繋辞》2巻。晋の太常韓康伯の注。
- 《周易繋辞》2巻。梁の太中大夫宋褰の注。宋の東陽太守卞伯玉注『繋辞』2巻もあったが亡失。
- 《周易繋辞》2巻。荀柔之の注。
- 《周易集注繋辞》2巻。梁には宋の太中大夫徐爰注『繋辞』2巻もあったが亡失。
- 《周易音》1巻。東晋の太子前率徐邈の撰。
- 《周易音》1巻。東晋の尚書郎李軌弘範の撰。
- 《周易音》1巻。范氏の撰。
- 《周易並注音》7巻。秘書学士陸徳明の撰。
- 《周易尽神論》1巻。魏の司空鐘会の撰。梁には『周易無互体論』3巻、鐘会撰もあったが亡失。
- 《周易象論》3巻。晋の尚書郎欒肇の撰。
- 《周易卦序論》1巻。晋の司徒右長史楊乂の撰。
- 《周易統略》5巻。晋の少府卿鄒湛の撰。
- 《周易論》2巻。晋の馮翊太守阮常の撰。
- 《周易論》1巻。晋の荊州刺史宋岱の撰。梁には『擬周易説』8巻(范氏撰)、『周易宗塗』4巻(干宝撰)、『周易問難』2巻(王氏撰)、『周易問答』1巻(揚州従事徐伯珍撰)、『周易難王輔嗣義』1巻(晋の揚州刺史顧夷ら撰)、『周易雑論』14巻もあったが亡失。
- 《周易義》1巻。宋の陳令范歆の撰。
- 《周易玄品》2巻
- 《周易論》10巻。斉の中書郎周顒の撰。梁には30巻本があったが亡失。
- 《周易論》4巻。范氏の撰。
- 《周易統例》10巻。崔覲の撰。
- 《周易爻義》1巻。干宝の撰。
- 《周易乾坤義》1巻。斉の歩兵校尉劉瓛の撰。梁にはまた斉の臨沂令李玉之・梁の釈法通ら『乾坤義』各1巻もあったが亡失。
- 《周易大義》21巻。梁の武帝の撰。
- 《周易幾義》1巻。梁の南平王の撰。梁には『周易疑通』5巻(宋の中散大夫何諲之撰)、『周易四徳例』1巻(劉瓛撰)もあったが亡失。
- 《周易大義》1巻。梁には『周易錯』8巻(京房撰)、『周易日月変例』6巻(虞翻・陸績撰)、『周易卦象数旨』6巻(東晋の楽安亭侯李顒撰)、『周易爻』1巻(馬揩撰)もあったが亡失。
- 《周易太義》2巻。陸徳明の撰。
- 《周易釈序義》3巻
- 《周易開題義》10巻。梁蕃の撰。
- 《周易問》20巻
- 《周易義疏》19巻。宋の明帝が群臣を集めて講じた。梁にはまた『国子講易』議6巻、『宋明帝集群臣講易義疏』20巻、『斉永明国学講周易講疏』26巻、また『周易義』3巻(沈林撰)もあったが亡失。
- 《周易講疏》35巻。梁の武帝の撰。
- 《周易講疏》16巻。梁の五経博士褚仲都の撰。
- 《周易義疏》14巻。梁の都官尚書蕭子政の撰。
- 《周易繋辞義疏》3巻。蕭子政の撰。
- 《周易講疏》30巻。陳の諮議参軍張譏の撰。
- 《周易文句義》20巻。梁には『擬周易義疏』13巻もあった。
- 《周易義疏》16巻。陳の尚書左僕射周弘正の撰。
- 《周易私記》20巻
- 《周易講疏》13巻。国子祭酒何妥の撰。
- 《周易繋辞義疏》2巻。劉瓛の撰。
- 《周易繋辞義疏》1巻。梁の武帝の撰。
- 《周易繋辞義疏》2巻。蕭子政の撰。梁には『周易乾坤三象』『周易新図』各1巻、また『周易普玄図』8巻(薛景和撰)、『周易大演通統』1巻(顔氏撰)もあった。
- 《周易譜》1巻。
以上69部、551巻。亡失した書を通計すると合わせて94部、829巻となる。
:昔、宓羲氏が初めて八卦を画し神明の徳に通じ万物の情に類することとし、これを重ねて六十四卦とした。三代に至り実に三易となり、夏は『連山』、殷は『帰蔵』、周の文王は卦辞を作り『周易』と称した。周公はまた『爻辞』を作り、孔子は『彖』『象』『繋辞』『文言』『序卦』『説卦』『雑卦』を作り、子夏がこれを伝えた。秦の焚書に際し『周易』のみは卜筮の書として存続したが、『説卦』3篇のみ失われ後に河内の女子がこれを得た。漢初、『易』を伝えた者に田何がおり、何は丁寛に授け、寛は田王孫に授け、王孫は沛人施仇、東海の孟喜、琅邪の梁丘賀に授けた。これにより施・孟・梁丘の学が興った。また東郡の京房は自ら梁国の焦延寿に易を受けたとし、別に京氏学とした。一時立てられたが後に廃された。後漢では施・孟・梁丘・京氏の4家が並立し伝える者が多かった。漢初にはまた東莱の費直が『易』を伝え、その本文はみな古字で『古文易』と称された。これを琅邪の王璜に授け、璜は沛人の高相に授け、相は子の康と蘭陵の母将永に授けた。これにより費氏の学が民間に行われたが立てられることはなかった。後漢の陳元・鄭衆はいずれも費氏の学を伝えた。馬融もその伝を著し鄭玄に授けた。玄は『易注』を作り、荀爽もまた『易伝』を作った。魏代の王粛・王弼もそれぞれ注を作った。これにより費氏が大いに興り高氏は衰えた。梁丘・施氏・高氏は西晋で亡び、孟氏・京氏は書はあるが師説が絶えた。梁・陳では鄭玄・王弼の二注が国学に列せられたが、斉代には鄭義のみが伝わった。隋に至り王注が盛んに行われ鄭学は衰微し今ではほぼ絶えている。『帰蔵』は漢初に既に亡びていたが、晋の『中経』に記載があり卜筮のみを載せ聖人の旨とは似ていない。もとの本卦が残っているため『周易』の首に付し『殷易』の欠を補う。
書
- 《古文尚書》13巻。漢の臨淮太守孔安国の伝。
- 《今字尚書》14巻。孔安国の伝。
- 《尚書》11巻。馬融の注。
- 《尚書》9巻。鄭玄の注。
- 《尚書》11巻。王粛の注。
- 《尚書》15巻。晋の祠部郎謝沈の撰。
- 《集解尚書》11巻。李顒の注。
- 《集釈尚書》11巻。宋の給事中姜道盛の注。
- 《古文尚書舜典》1巻。晋の豫章太守范甯の注。梁には『尚書』10巻(范寧注)もあったが亡失。
- 《尚書亡篇序》1巻。梁の五経博士劉叔嗣の注。梁には『尚書』21巻(劉叔嗣注)、また『尚書新集序』1巻もあったが亡失。
- 《尚書逸篇》2巻
- 《古文尚書音》1巻。徐邈の撰。梁には『尚書音』5巻(孔安国・鄭玄・李軌・徐邈ら撰)もあった。
- 《今文尚書音》1巻。秘書学士顧彪の撰。
- 《尚書大伝》3巻。鄭玄の注。
- 《大伝音》2巻。顧彪の撰。
- 《尚書洪範五行伝論》11巻。漢の光禄大夫劉向の注。
- 《尚書駁議》5巻。王粛の撰。梁には『尚書義問』3巻(鄭玄・王粛及び晋の五経博士孔晁撰)、『尚書釈問』4巻(魏の侍中王粲撰)、『尚書王氏伝問』2巻、『尚書義』2巻(呉の太尉范順問、劉毅答)もあったが亡失。
- 《尚書新釈》2巻。李顒の撰。
- 《尚書百問》1巻。斉の太学博士顧歓の撰。
- 《尚書大義》20巻。梁の武帝の撰。
- 《尚書百釈》3巻。梁の国子助教巣猗の撰。
- 《尚書義》3巻。巣猗の撰。
- 《尚書義疏》10巻。梁の国子助教費甝の撰。梁には『尚書義疏』4巻(晋の楽安王友伊説撰)もあったが亡失。
- 《尚書義疏》30巻。蕭詧の司徒蔡大宝の撰。
- 《尚書義注》3巻。呂文優の撰。
- 《尚書義疏》7巻
- 《尚書述義》20巻。国子助教劉炫の撰。
- 《尚書疏》20巻。顧彪の撰。
- 《尚書閏義》1巻
- 《尚書義》3巻。劉先生の撰。
- 《尚書釈問》1巻。虞氏の撰。
- 《尚書文外義》1巻。顧彪の撰。
以上32部、247巻。亡失した書を通計すると合わせて41部、296巻となる。
:『書』の興りは文字の起こりと共にある。孔子は周室で『書』を観て虞・夏・商・周4代の典籍を得、その善なるものを刪り上は虞から下は周に至るまで百篇に編み序を付した。秦の滅学に遭い、漢に至って済南の伏生のみが口伝で28篇を伝えた。また河内の女子が『泰誓』1篇を得て献じた。伏生は『尚書伝』41篇を作り同郡の張生に授け、張生は千乗の欧陽生に授け、欧陽生は同郡の倪寛に授け、寛は欧陽生の子に授けて代々伝わり、曾孫の欧陽高に至り『尚書』欧陽の学と呼ばれた。また夏侯都尉が張生に学び族子の始昌に授け、始昌は族子の勝に伝え大夏侯の学となった。勝は従子の建に伝え別に小夏侯の学となった。これにより欧陽・大小夏侯の三家が並立し、後漢の東京まで伝わり続け欧陽が最も盛んであった。初め漢の武帝の時、魯の恭王が孔子の旧宅を壊した際、末孫の孔恵が蔵していた書を得たが、字はみな古文であった。孔安国が今文でこれを校し25篇を得た。その『泰誓』は河内の女子が献じたものと異なっていた。また済南の伏生が誦した5篇と一致するものがあり、安国は古文に依りその篇次を開き隷古字で書写し合わせて58篇とした。残りの篇は簡が錯乱し読めず官府に送られた。安国はまた58篇に伝を作ったが巫蠱の事が起こり奏上できず、密かにその業を都尉朝に伝え、朝は膠東の庸生に授け『尚書古文』の学と呼ばれたが立てられることはなかった。後漢の扶風の杜林が『古文尚書』を伝え、同郡の賈逵がこれに訓を作り、馬融も伝を作り、鄭玄もまた注を作った。しかしその伝わったのはわずか29篇で、今文と混じり孔氏の旧本ではなかった。それ以外には師説が全く絶えていた。
:晋世の秘府に残っていた『古文尚書』の経文は今伝える者がない。永嘉の乱で欧陽・大小夏侯の『尚書』はともに亡びた。済南の伏生の伝は劉向父子の著した『五行伝』のみがその本法であるが、それも多くの乖離がある。東晋に至り豫章内史梅賾が初めて安国の伝を得て奏上したが、当時『舜典』1篇が欠けていた。斉の建武中、呉の姚方興が大桁市で書を得て奏上したところ、馬融・鄭玄の注より28字多く、これによって初めて国学に列せられた。梁・陳の講義には孔・鄭の二家があったが、斉代には鄭義のみが伝わった。隋に至り孔・鄭がともに行われたが鄭氏は甚だ衰微した。それ以外に伝わるものはなく師説も絶えている。また『尚書逸篇』は斉・梁の間に現れ、その篇目を考えると孔壁の中書の残欠のようであり、『尚書』の末に付す。
詩
- 《韓詩》22巻。漢の常山太傅韓嬰、薛氏の章句。
- 《韓詩翼要》10巻。漢の侯苞の伝。
- 《韓詩外伝》10巻。梁には『韓詩譜』2巻、『詩神泉』1巻(漢の有道徴士趙曄撰)もあったが亡失。
- 《毛詩》20巻。漢の河間太傅毛萇の伝、鄭氏の箋。梁には『毛詩』10巻(馬融注)もあったが亡失。
- 《毛詩》20巻。王粛の注。梁には『毛詩』20巻(鄭玄・王粛合注)、『毛詩』20巻(謝沈注)、『毛詩』20巻(晋の兗州別駕江熙注)もあったが亡失。
- 《集注毛詩》24巻。梁の桂州刺史崔霊恩の注。梁には『毛詩序』1巻(梁の隠居先生陶弘景注)もあったが亡失。
- 《毛詩箋音証》10巻。後魏の太常卿劉芳の撰。梁には『毛詩音』16巻(徐邈ら撰)、『毛詩音』2巻(徐邈撰)、『毛詩音隠』1巻(幹氏撰)もあったが亡失。
- 《毛詩並注音》8巻。秘書学士魯世達の撰。
- 《毛詩譜》3巻。呉の太常卿徐整の撰。
- 《毛詩譜》2巻。太叔求及び劉炫の注。
- 《謝氏毛詩譜鈔》1巻。梁には『毛詩雑議難』10巻(漢の侍中賈逵撰)もあったが亡失。
- 《毛詩義問》10巻。魏の太子文学劉楨の撰。
- 《毛詩義駁》8巻。王粛の撰。
- 《毛詩奏事》1巻。王粛の撰。『毛詩問難』2巻(王粛撰)もあったが亡失。
- 《毛詩駁》1巻。魏の司空王基の撰、残欠。梁には5巻本があった。また『毛詩答問』『駁譜』合わせて8巻、『毛詩釈義』10巻(謝沈撰)、『毛詩義』4巻・『毛詩箋伝是非』2巻(ともに魏の秘書郎劉潘撰)、『毛詩答雑問』7巻(呉の侍中韋昭・侍中硃育ら撰)、『毛詩義注』4巻もあったが亡失。
- 《毛詩異同評》10巻。晋の長沙太守孫毓の撰。
- 《難孫氏毛詩評》4巻。晋の徐州従事陳統の撰。梁には『毛詩表隠』2巻(陳統撰)もあったが亡失。
- 《毛詩拾遺》1巻。郭璞の撰。梁にはまた『毛詩略』4巻もあったが亡失。
- 《毛詩辨異》3巻。晋の給事郎楊乂の撰。梁には『毛詩背隠義』2巻(宋の中散大夫徐広撰)、『毛詩引辨』1巻(宋の奉朝請孫暢之撰)、『毛詩釈』1巻(宋の金紫光禄大夫何偃撰)、『毛詩検漏義』2巻(梁の給事郎謝曇済撰)、『毛詩総集』6巻・『毛詩隠義』10巻(ともに梁の処士何胤撰)もあったが亡失。
- 《毛詩異義》2巻。楊乂の撰。梁には『毛詩雑義』5巻(楊乂撰)、『毛詩義疏』10巻(謝沈撰)、『毛詩雑義』4巻(晋の江州刺史殷仲堪撰)、『毛詩義疏』5巻(張氏撰)もあったが亡失。
- 《毛詩集解叙義》1巻。顧歓らの撰。
- 《毛詩序義》2巻。宋の通直郎雷次宗の撰。梁には『毛詩義』1巻(雷次宗撰)、『毛詩序注』1巻(宋の交州刺史阮珍之撰)、『毛詩序義』7巻(孫暢之撰)もあったが亡失。
- 《毛詩集小序》1巻。劉炫の注。
- 《毛詩序義疏》1巻。劉瓛らの撰、残欠。梁には3巻本があった。梁には『毛詩篇次義』1巻(劉瓛撰)、『毛詩雑義注』3巻もあったが亡失。
- 《毛詩発題序義》1巻。梁の武帝の撰。
- 《毛詩大義》11巻。梁の武帝の撰。梁には『毛詩十五国風義』20巻(梁の簡文帝撰)もあった。
- 《毛詩大義》13巻
- 《毛詩草木虫魚疏》2巻。烏程令呉郡陸機の撰。
- 《毛詩義疏》20巻。舒援の撰。
- 《毛詩誼府》3巻。後魏の安豊王元延明の撰。
- 《毛詩義疏》28巻。蕭巋の散騎常侍沈重の撰。
- 《毛詩義疏》20巻
- 《毛詩義疏》29巻
- 《毛詩義疏》10巻
- 《毛詩義疏》11巻
- 《毛詩義疏》28巻
- 《毛詩述義》40巻。国子助教劉炫の撰。
- 《毛詩章句義疏》40巻。魯世達の撰。
- 《毛詩釈疑》1巻。梁には『毛詩図』3巻、『毛詩孔子経図』12巻、『毛詩古聖賢図』2巻もあったが亡失。
- 《業詩》20巻。宋の奉朝請業遵の注。
以上39部、442巻。亡失した書を通計すると合わせて76部、683巻となる。
:『詩』とは心霊を導き情志を歌詠するものであり「心にあれば志となり、言に発すれば詩となる」という。上古は人が淳朴で情志も惑わなかったが、後に君が上に尊く臣が下に卑しくなると面と向かって諫めれば諂いとされ目で諫めれば謗りとされたため、美を誦し悪を譏ることでこれを風刺した。初めは歌詠のみであったが、後の君子は管弦に載せて勧戒を残した。夏・殷以前の詩は多くが伝わらない。周は后稷に始まり公劉が前烈を篤くし太王が王業の基を開き、文王が前緒を光り輝かせ武王が殷の乱を平定し、成王・周公が太平に至り盛徳を誦えて相継いだ。幽王・厲王の板蕩の世には怨刺が並び興った。その後王沢が竭き詩が亡びると魯の太師摯がこれを整理し記録した。孔子は詩を刪り上は商より下は魯に至るまで、合わせて300篇とした。秦に至っても諷誦の対象として滅びなかった。漢初、魯人申公が浮丘伯から『詩』を受け訓詁を作り『魯詩』とした。斉人轅固生も『詩』を伝え『斉詩』とした。燕人韓嬰も『詩』を伝え『韓詩』とした。後漢に至るまで三家が並立した。漢初にはまた趙人毛萇が『詩』に長じ、自ら子夏の伝と称し『詁訓伝』を作り『毛詩』古学と呼ばれたが立てられることはなかった。後漢の九江の謝曼卿は『毛詩』に長じさらに訓を作り、東海の衛敬仲が曼卿に学んだ。先儒はこれを継承し『毛詩』と呼んだ。序は子夏が創め、毛公と敬仲がさらに潤色を加えた。鄭衆・賈逵・馬融はいずれも『毛詩伝』を作り、鄭玄は『毛詩箋』を作った。『斉詩』は魏代に既に亡び、『魯詩』は西晋で亡び、『韓詩』は存するが伝える者がない。ただ『毛詩鄭箋』のみが今も独り伝わっている。また『業詩』は奉朝請業遵の注で、その立義に異なる点が多く世に行われていない。
禮
- 《周官礼》12巻。馬融の注。
- 《周官礼》12巻。鄭玄の注。
- 《周官礼》12巻。王粛の注。
- 《周官礼》12巻。伊説の注。
- 《周官礼》12巻。幹宝の注。梁にはまた『周官寧朔新書』8巻(晋の燕王師王懋約撰)もあったが亡失。
- 《集注周官礼》20巻。崔霊恩の注。
- 《礼音》3巻。劉昌宗の撰。
- 《周官礼異同評》12巻。晋の司空長史陳劭の撰。
- 《周官礼駁難》4巻。孫略の撰。梁には『周官駁難』3巻(孫琦問、幹宝駁)、晋の散騎常侍虞喜の撰もあった。
- 《周官礼義疏》40巻。沈重の撰。
- 《周官礼義疏》19巻
- 《周官礼義疏》10巻
- 《周官礼義疏》9巻
- 《周官分職》4巻
- 《周官礼図》14巻。梁には『郊祀図』2巻もあったが亡失。
- 《儀礼》17巻。鄭玄の注。
- 《儀礼》17巻。王粛の注。梁には李軌・劉昌宗の音各1巻、鄭玄音2巻もあったが亡失。
- 《儀礼義疏見》2巻
- 《儀礼義疏》6巻
- 《喪服経伝》1巻。馬融の注。
- 《喪服経伝》1巻。鄭玄の注。
- 《喪服経伝》1巻。王粛の注。
- 《喪服経伝》1巻。晋の給事中袁准の注。
- 《集注喪服経伝》1巻。晋の廬陵太守孔倫の撰。
- 《喪服経伝》1巻。陳銓の注。
- 《集注喪服経伝》1巻。宋の太中大夫裴松之の撰。
- 《略注喪服経伝》1巻。雷次宗の注。
- 《集注喪服経伝》2巻。宋の丞相諮議参軍蔡超の注。梁にはまた『喪服経伝』1巻(宋の徴士劉道拔注)もあったが亡失。
- 《集解喪服経伝》2巻。斉の東平太守田僧紹の解。
- 《喪服義疏》2巻。梁の歩兵校尉・五経博士賀瑒の撰。梁にはまた『喪服経伝義疏』5巻(斉の散騎郎司馬憲撰)、『喪服経伝義疏』2巻(斉の給事中楼幼瑜撰)、『喪服経伝義疏』1巻(劉瓛撰)、『喪服経伝義疏』1巻(斉の徴士沈麟士撰)もあった。
- 《喪服経伝義疏》1巻。梁の尚書左丞何佟之の撰、亡失。
- 《喪服伝》1巻。梁の通直郎裴子野の撰。
- 《喪服文句義疏》10巻。梁の国子助教皇侃の撰。
- 《喪服義》10巻。陳の国子祭酒謝嶠の撰。
- 《喪服義鈔》3巻。梁には『喪服経伝隠義』1巻もあったが亡失。
- 《喪服要記》1巻。王粛の注。
- 《喪服要記》1巻。蜀の丞相蒋琬の撰。梁には『喪服変除図』5巻(呉の斉王傅射慈撰)もあったが亡失。
- 《喪服要集》2巻。晋の征南将軍杜預の撰。また『喪服要記』2巻(晋の侍中劉逵撰)もあったが亡失。
- 《喪服儀》1巻。晋の太保衛瓘の撰。梁には『喪服要記』6巻(晋の司空賀循撰)、『喪服要問』6巻(劉徳明撰)、『喪服』31巻(宋の員外郎散騎庾蔚之撰)、『喪服要問』2巻(張耀撰)、『喪服難問』6巻(崔凱撰)、『喪服雑記』20巻(伊氏撰)、『喪服釈疑』20巻(劉智撰)もあったが亡失。
- 《漢荊州刺史劉表新定礼》1巻
- 《喪服要略》1巻。晋の太学博士環済の撰。
- 《喪服要略》2巻
- 《喪服制要》1巻。徐氏の撰。
- 《喪服譜》1巻。鄭玄の注。
- 《喪服譜》1巻。晋の開府儀同三司蔡謨の撰。
- 《喪服譜》1巻。賀循の撰。
- 《喪服変除》1巻。晋の散騎常侍葛洪の撰。
- 《凶礼》1巻。晋の広陵相孔衍の撰。
- 《喪服要記》10巻。賀循の撰。梁には『喪服要記』(宋の員外常侍庾蔚之注)、また『喪服世要』1巻(庾蔚之撰)、『喪服集議』10巻(宋の撫軍司馬費沈撰)もあった。
- 《喪服古今集記》3巻。斉の太尉王倹の撰。
- 《喪服世行要記》10巻。斉の光禄大夫王逡の撰。
- 《喪服答要難》1巻。袁祈の撰。
- 《喪服記》10巻。王氏の撰。
- 《喪服五要》1巻。厳氏の撰。
- 《駁喪服経伝》1巻。卜氏の伝。
- 《喪服疑問》1巻。樊氏の撰。
- 《喪服図》1巻。王倹の撰。
- 《喪服図》1巻。賀遊の撰。
- 《喪服図》1巻。崔逸の撰。梁には『喪服祥禫雑議』29巻、『喪服雑議故事』21巻、また『戴氏喪服五家要記図譜』5巻、『喪服君臣図儀』1巻もあったが亡失。
- 《五服図》1巻
- 《五服図儀》1巻
- 《喪服礼図》1巻
- 《五服略例》1巻
- 《喪服要問》1巻
- 《喪服問答目》13巻。皇侃の撰。
- 《喪服仮寧制》3巻
- 《喪礼五服》7巻。大将軍袁憲の撰。
- 《論喪服決》1巻
- 《喪礼鈔》3巻。王隆伯の撰。
- 《大戴礼記》13巻。漢の信都王太傅戴徳の撰。梁には『諡法』3巻(後漢の安南太守劉熙注)もあったが亡失。
- 《夏小正》1巻。戴徳の撰。
- 《礼記》10巻。漢の北中郎将盧植の注。
- 《礼記》20巻。漢の九江太守戴聖の撰、鄭玄の注。
- 《礼記》30巻。王粛の注。梁には『礼記』12巻(業遵注)もあったが亡失。
- 《礼記寧朔新書》8巻。王懋約の注。梁には20巻本があった。
- 《月令章句》12巻。漢の左中郎将蔡邕の撰。
- 《礼記音義隠》1巻。謝氏の撰。
- 《礼記音》2巻。宋の中散大夫徐爰の撰。梁には鄭玄・王粛・射慈・射貞・孫毓・繆炳の音各1巻、蔡謨・東晋の安北諮議参軍曹耽・国子助教尹毅・李軌・員外郎范宣の音各2巻、徐邈の音3巻、劉昌宗の音5巻もあったが亡失。
- 《礼記音義隠》7巻
- 《礼記》30巻。魏の秘書監孫炎の注。
- 《礼略》2巻
- 《礼記要鈔》10巻。緱氏の撰。梁には礼義4巻(魏の侍中鄭小同撰)、『摭遺別記』1巻(楼幼瑜撰)もあったが亡失。
- 《礼記新義疏》20巻。賀瑒の撰。梁には『義疏』3巻(宋の豫章郡丞雷粛之撰)もあったが亡失。
- 《礼記講疏》99巻。皇侃の撰。
- 《礼記義疏》48巻。皇侃の撰。
- 《礼記義疏》40巻。沈重の撰。
- 《礼記義》10巻。何氏の撰。
- 《礼記義疏》38巻。
- 《礼記疏》11巻
- 《礼記大義》10巻。梁の武帝の撰。
- 《礼記文外大義》2巻。秘書学士褚暉の撰。
- 《礼大義》10巻
- 《礼記義証》10巻。劉芳の撰。
- 《礼大義章》7巻
- 《喪礼雑義》3巻
- 《礼記中庸伝》2巻。宋の散騎常侍戴顒の撰。
- 《中庸講疏》1巻。梁の武帝の撰。
- 《私記制旨中庸義》5巻
- 《礼記略解》10巻。庚氏の撰。
- 《礼記評》11巻。劉雋の撰。
- 《石渠礼論》4巻。戴聖の撰。梁には『群儒疑義』12巻(戴聖撰)もあった。
- 《礼論》300巻。宋の御史中丞何承天の撰。
- 《礼論条牒》10巻。宋の太尉参軍任預の撰。
- 《礼論帖》3巻。任預の撰。梁には4巻本があった。
- 《礼論鈔》20巻。庾蔚之の撰。
- 《礼論要鈔》10巻。王倹の撰。梁には3巻本があった。
- 《礼論要鈔》100巻。賀瑒の撰。
- 《礼論鈔》69巻
- 《礼論要鈔》10巻。梁には斉の御史中丞荀万秋『鈔略』2巻、尚書儀曹郎丘季彬の論58巻・議130巻・統6巻もあったが亡失。
- 《礼論答問》8巻。宋の中散大夫徐広の撰。
- 《礼論答問》13巻。徐広の撰。
- 《礼答問》2巻。徐広の撰、残欠。梁には11巻本があった。
- 《礼答問》6巻。庾蔚之の撰。
- 《礼答問》3巻。王倹の撰。梁には晋の益陽令呉商『礼難』12巻、『雑議』12巻、また『礼議雑記故事』13巻、『喪雑事』20巻、宋の光禄大夫傅隆の議2巻、『祭法』5巻もあったが亡失。
- 《礼答問》12巻
- 《礼雑問》10巻。范甯の撰。
- 《礼答問》10巻。何佟之の撰。梁には20巻本があった。
- 《礼雑問》10巻
- 《礼雑答問》8巻
- 《礼雑答問》6巻
- 《礼雑問答鈔》1巻。何佟之の撰。
- 《問礼俗》10巻。董勲の撰。
- 《問礼俗》9巻。董子弘の撰。
- 《答問雑儀》2巻。任預の撰。
- 《礼義答問》8巻。王倹の撰。
- 《礼疑義》52巻。梁の護軍周舎の撰。
- 《制旨革牲大義》3巻。梁の武帝の撰。
- 《礼楽義》10巻
- 《礼秘義》3巻
- 《三礼目録》1巻。鄭玄の撰。梁には陶弘景注1巻もあったが亡失。
- 《三礼義宗》30巻。崔霊恩の撰。
- 《三礼宗略》20巻。元延明の撰。
- 《三礼大義》13巻
- 《三礼大義》4巻
- 《三礼雑大義》3巻。梁には『司馬法』3巻、『李氏訓記』3巻、また『郊丘議』3巻(魏の太尉蒋済撰)、『祭法』5巻・『明堂議』3巻(王粛撰)、『雑祭法』6巻(晋の司空中郎盧諶撰)、『祭典』3巻(晋の安北将軍范汪撰)、『七廟議』1巻・『後養議』5巻(幹宝撰)、『雑郷射等議』3巻(晋の太尉庾亮撰)、『逆降義』3巻(宋の特進延顔之撰)、『逆降義』1巻(田僧紹撰)、『分明士制』3巻(何承天撰)、『釈疑』2巻(郭鴻撰)、『答問』4巻(徐広撰)、『答問』50巻(何胤撰)、また『答問』10巻もあったが亡失。
- 《三礼図》9巻。鄭玄及び後漢の侍中阮諶らの撰。
- 《周室王城明堂宗廟図》1巻。祁諶の撰。梁にはまた『冠服図』1巻、『五宗図』1巻、『月令図』1巻もあったが亡失。
以上136部、1,622巻。亡失した書を通計すると合わせて211部、2,186巻となる。
:大道が隠れ天下が私有される時代となってから、先王は夫婦・父子・君臣・上下・親疏の節を定めた。三代に至り損益は同じでなかった。周が衰え諸侯が僭越すると、その害を憎み多くが焼き削られた。孔子の時から既に完備しておらず、秦に至って全く滅びた。漢初、高堂生が17篇を伝え、また古経が淹中から出て、河間献王が古学を好み余燼を集めて献上し合わせて56篇と威儀の記録を得た。また『司馬穣苴兵法』155篇及び『明堂陰陽』の記も得たが誰も伝えなかった。ただ古経17篇は高堂生の伝えたものと変わらないが字は多く異なっていた。高堂生から宣帝の時の后蒼に至り最もその業に明るく『曲台記』を作った。蒼は梁人戴徳、及び徳の従兄子戴聖、沛人慶普に授け、大戴・小戴・慶氏の三家が並立した。後漢では曹元のみが慶氏を伝えその子褒に授けた。三家は微弱ながらも相伝えて絶えなかった。漢末、鄭玄が小戴の学を伝え、後に古経で校し義の長ずるものを取って注を作り鄭氏学とした。『喪服』1篇は子夏がまず伝え、諸儒が多く注解し今も別行している。漢時、李氏が『周官』を得た。『周官』は周公が制定した官政の法とされ、河間献王に献上されたが『冬官』1篇が欠けていた。献王は千金で購おうとしたが得られず『考工記』を取って補い6篇を合わせて奏上した。王莽の時、劉歆が初めて博士を置き世に行わせた。河南の緱氏と杜子春が歆に学び教授した。その後馬融が『周官伝』を作り鄭玄に授け、玄は『周官注』を作った。漢初、河間献王はまた仲尼の弟子及び後学の記す131篇を得て献じたが誰も伝えなかった。劉向が経籍を校勘した時130篇を検得し向がこれに次序を付け叙した。また『明堂陰陽記』33篇・『孔子三朝記』7篇・『王史氏記』21篇・『楽記』23篇の5種を得て合わせて214篇となった。戴徳がその繁重を削り編んで85篇とし『大戴記』と呼んだ。戴聖がまた大戴の書を削って46篇とし『小戴記』と呼んだ。漢末、馬融が小戴の学を伝えた。融はまた『月令』1篇・『明堂位』1篇・『楽記』1篇を定め合わせて49篇とし、鄭玄が融に学び注を作った。今『周官』6篇・古経17篇・『小戴記』49篇の3種のうち『鄭注』のみが国学に立てられ、それ以外は多く散逸し師説もない。
樂
- 《楽社大義》10巻。梁の武帝の撰。
- 《楽論》3巻。梁の武帝の撰。梁には『楽義』11巻(武帝が朝臣を集め撰)もあったが亡失。
- 《楽論》1巻。衛尉少卿蕭吉の撰。
- 《古今楽録》12巻。陳の沙門智匠の撰。
- 《楽書》7巻。後魏の丞相士曹行参軍信都芳の撰。
- 《楽雑書》3巻
- 《楽元》1巻。魏僧の撰。
- 《管弦記》10巻。淩秀の撰。
- 《楽要》1巻。何妥の撰。
- 《楽部》1巻
- 《春官楽部》5巻。梁には『宋元嘉正声伎録』1巻(張解撰)もあったが亡失。
- 《楽府声調》6巻。岐州刺史・沛国公鄭訳の撰。
- 《楽府声調》3巻。鄭訳の撰。
- 《楽経》4巻
- 《琴操》3巻。晋の広陵相孔衍の撰。
- 《琴操鈔》2巻
- 《琴操鈔》1巻
- 《琴譜》4巻。戴氏の撰。
- 《琴経》1巻
- 《琴説》1巻
- 《琴曆頭簿》1巻
- 《新雑漆調弦譜》1巻
- 《楽譜》4巻
- 《楽譜集》20巻。蕭吉の撰。
- 《楽略》4巻
- 《楽律義》4巻。沈重の撰。
- 《鐘律義》1巻
- 《楽簿》10巻
- 《斉朝曲簿》1巻
- 《大隋総曲簿》1巻
- 《推七音》2巻。尺法も含む。
- 《楽論事》1巻
- 《楽事》1巻
- 《正声伎雑等曲簿》1巻
- 《太常寺曲名》1巻
- 《太常寺曲簿》11巻
- 《歌曲名》5巻
- 《歴代楽名》1巻
- 《鐘磬志》2巻。公孫崇の撰。
- 《楽懸》1巻。何晏らの議撰。
- 《楽懸図》1巻
- 《鐘律緯弁宗見》1巻
- 《当管七声》2巻。魏僧の撰。
- 《黄鐘律》1巻。梁には『鐘律緯』6巻(梁の武帝撰)もあったが亡失。
以上42部、142巻。亡失した書を通計すると合わせて46部、263巻となる。
:楽とは先王が神祇を招き、邦国を和し、万姓を諧え、賓客を安んじ、遠人を悦ばすために用いたもので、その由来は久しい。周人は六代の楽、すなわち『雲門』『咸池』『大韶』『大夏』『大護』『大武』を保存したが、後に衰微崩壊し秦に至って全く滅びた。漢初、制氏はその鏗鏘や舞の形式を記録したが意義には通じなかった。その後竇公・河間献王・常山王・張禹がそれぞれ『楽書』を献じた。魏・晋以後も損益が加えられたが本義からますます遠ざかった。詳細は『声楽志』にある。今現存する書を録し楽章の欠を補う。
春秋
- 《春秋経》11巻。呉の衛将軍士燮の注。
- 《春秋左氏長経》20巻。漢の侍中賈逵の章句。
- 《春秋左氏解詁》30巻。賈逵の撰。
- 《春秋左氏伝解誼》31巻。漢の九江太守服虔の注。
- 《春秋左氏伝》30巻。王粛の注。
- 《春秋左氏伝》30巻。董遇の章句。
- 《春秋左氏伝義注》18巻。孫毓の注。
- 《春秋左氏伝》12巻。魏の司徒王朗の撰。
- 《春秋左氏経伝集解》30巻。杜預の撰。
- 《春秋杜氏服氏注春秋左伝》10巻、残欠。
- 《春秋左氏伝音》3巻。魏の中散大夫嵆康の撰。梁には服虔・杜預の音3巻、魏の高貴郷公『春秋左氏伝音』3巻、曹軀音・尚書左人郎荀訥らの音4巻もあったが亡失。
- 《春秋左氏伝音》3巻。李軌の撰。
- 《春秋左氏伝音》3巻。徐邈の撰。
- 《春秋釈訓》1巻。賈逵の撰。
- 《春秋左氏経伝硃墨列》1巻。賈逵の撰。
- 《春秋釈例》10巻。漢の公車徴士穎容の撰。梁には『春秋左氏伝条例』9巻(漢の大司農鄭衆撰)もあった。
- 《春秋左氏膏肓釈屙》10巻。服虔の撰。梁には『春秋漢議駁』2巻(服虔撰)もあったが亡失。
- 《駁何氏漢議》2巻。鄭玄の撰。
- 《春秋成長説》9巻。服虔の撰。梁には『春秋左氏達義』1巻(漢の司徒掾王玢撰)もあったが亡失。
- 《春秋塞難》3巻。服虔の撰。梁には『春秋雑議難』5巻(漢の少府孔融撰)、『春秋左氏釈駁』1巻(王朗撰)もあったが亡失。
- 《春秋説要》10巻。魏の楽平太守糜信の撰。
- 《春秋釈例》15巻。杜預の撰。梁には『春秋釈例引序』1巻(斉の正員郎杜乾光撰)もあったが亡失。
- 《春秋左氏伝評》2巻。杜預の撰。
- 《春秋条例》11巻。晋の太尉劉寔の撰。梁には『春秋公羊達義』3巻(劉寔撰)もあったが亡失。
- 《春秋経例》12巻。晋の方範の撰。梁には『春秋釈滞』10巻(晋の尚書左丞殷興撰)、『春秋釈難』3巻(晋の護軍範堅撰)もあった。
- 《春秋左氏伝条例》25巻
- 《春秋義例》10巻
- 《春秋左伝例苑》19巻。梁には『春秋経伝説例疑隠』1巻(呉略撰)、『春秋左氏分野』1巻、『春秋十二公名』1巻(鄭玄撰)もあったが亡失。
- 《春秋左氏経伝通解》4巻。王述之の撰。
- 《春秋左氏伝賈服異同略》5巻。孫毓の撰。
- 《春秋左氏函伝義》15巻。幹宝の撰。
- 《春秋左氏区別》30巻。尚書功論郎何始真の撰。
- 《春秋文苑》6巻
- 《春秋叢林》12巻
- 《春秋義林》1巻
- 《春秋大夫辞》3巻
- 《春秋嘉語》6巻
- 《春秋左氏諸大夫世譜》13巻
- 《春秋五辯》2巻。梁の五経博士沈宏の撰。
- 《春秋弁証》6巻
- 《春秋旨通》10巻。王述之の撰。
- 《春秋経伝解》6巻。崔霊恩の撰。
- 《春秋申先儒伝論》10巻。崔霊恩の撰。
- 《春秋左氏伝立義》10巻。崔霊恩の撰。
- 劉寔ら《集解春秋序》1巻
- 《春秋序論》2巻。幹宝の撰。
- 《春秋序》1巻。賀道養の注。
- 《春秋序》1巻。崔霊恩の撰。
- 《春秋序》1巻。田元休の注。
- 《春秋左伝杜預序集解》1巻。劉炫の注。
- 《春秋左氏経伝義略》25巻。陳の国子博士沈文阿の撰。
- 《王元規続沈文阿春秋左氏伝義略》10巻
- 《春秋義略》30巻。陳の右軍将軍張沖の撰。
- 《春秋左氏義略》8巻
- 《春秋五十凡義疏》2巻
- 《春秋左氏伝述義》40巻。東京太学博士劉炫の撰。
- 《春秋序義疏》1巻。梁には『春秋発題』1巻(梁の簡文帝撰)、『春秋左氏図』10巻(漢の太子太傅厳彭祖撰)、『古今春秋盟会地図』1巻もあったが亡失。
- 《春秋公羊伝》12巻。厳彭祖の撰。
- 《春秋公羊解詁》11巻。漢の諫議大夫何休の注。
- 《春秋公羊経伝》13巻。晋の散騎常侍王愆期の注。梁には『春秋公羊伝』12巻(晋の河南太守高竜注)、『春秋公羊伝』14巻(孔衍集解)、『春秋公羊音』(李軌・晋の徴士江淳撰、各1巻)もあった。
- 《春秋繁露》17巻。漢の膠西相董仲舒の撰。
- 《春秋決事》10巻。董仲舒の撰。
- 《春秋決疑論》1巻
- 《春秋左氏膏盲》10巻。何休の撰。
- 《春秋谷梁廃疾》3巻。何休の撰。
- 《春秋漢議》13巻。何休の撰。
- 《駁何氏漢議》2巻。鄭玄の撰。梁には『漢議駁』2巻(服虔撰)もあったが亡失。
- 《駁何氏漢議叙》1巻
- 《春秋公羊墨守》14巻。何休の撰。
- 《春秋公羊例序》5巻。刁氏の撰。
- 《春秋公羊諡例》1巻。何休の撰。梁には『春秋公羊伝条例』1巻(何休撰)、『春秋公羊伝問答』5巻(荀爽問、魏の安平太守徐欽答)、『春秋公羊論』2巻(晋の車騎将軍庾翼問、王愆期答)もあったが亡失。
- 《春秋公羊解序》1巻。鮮於公の撰。
- 《春秋公羊疏》12巻
- 《春秋谷梁伝》13巻。呉の僕射唐固の注。梁には『春秋谷梁伝』15巻(漢の諫議大夫尹更始撰)もあったが亡失。
- 《春秋谷梁伝》12巻。魏の楽平太守糜信の注。
- 《谷梁伝》10巻。晋の堂邑太守張靖の注。梁には『春秋谷梁伝』13巻(晋の給事郎徐乾注)、『春秋谷梁伝』10巻(胡訥集解)もあったが亡失。
- 《春秋谷梁伝》16巻。程闡の撰。
- 《春秋谷梁伝》14巻。孔衍の撰。
- 《春秋谷梁伝》12巻。徐邈の撰。
- 《春秋谷梁伝》14巻。段粛の注、漢人と疑われる。
- 《春秋谷梁伝》5巻。孔君揩の訓、残欠。梁には14巻本があった。
- 《春秋谷梁伝》12巻。范甯の集解。梁には『谷梁音』1巻もあったが亡失。
- 《春秋谷梁伝》4巻。残欠。張・程・孫・劉の四家集解。
- 糜信《理何氏漢議》2巻。魏人の撰。
- 《春秋谷梁伝義》10巻。徐邈の撰。
- 《春秋議》10巻。何休の撰。
- 徐邈《答春秋谷梁義》3巻
- 薄叔玄《問谷梁義》2巻。梁には4巻本があった。
- 《春秋谷梁伝例》1巻。范寧の撰。
- 《春秋公羊谷梁伝》12巻。晋の博士劉兆の撰。
- 《春秋谷梁廃疾》3巻。何休の撰、鄭玄の釈、張靖の箋。
- 《春秋公羊谷梁二伝評》3巻
- 《春秋三家経本訓詁》12巻。賈逵の撰。宋には『三家経』2巻もあったが亡失。
- 《春秋三伝論》10巻。魏の大長秋韓益の撰。
- 《春秋経合三伝》10巻。潘叔度の撰。
- 《春秋成奪》10巻。潘叔度の撰。
- 《春秋三伝評》10巻。胡訥の撰。梁には『春秋集三師難』3巻、『春秋集三伝経解』10巻(胡訥撰)もあったが今は亡失。
- 《春秋土地名》3巻。晋の裴秀の客京相璠らの撰。
- 《春秋外伝国語》20巻。賈逵の注。
- 《春秋外伝国語》21巻。虞翻の注。
- 《春秋外伝章句》1巻。王粛の撰。梁には22巻本があった。
- 《春秋外伝国語》22巻。韋昭の注。
- 《春秋外伝国語》20巻。晋の五経博士孔晁の注。
- 《春秋外伝国語》21巻。唐固の注。梁には『春秋古今盟会地図』1巻もあったが亡失。
以上97部、983巻。亡失した書を通計すると合わせて130部、1,192巻となる。
:『春秋』は魯の史策の書名である。昔、成周が微弱となり典章が廃れても、魯は周公の故によって遺制がなお存した。仲尼が旧史に依って裁正し、婉曲にして章を成し大順を存すこともあれば、直書して首悪を示すこともあった。ゆえに名を求めて亡び、蓋おうとして彰るる者もあり、乱臣賊子はこれを大いに恐れた。褒貶の詳細は具さに書けず、みな口伝で弟子に授けた。弟子が退いて異説を唱えたため左丘明はその真を失うことを恐れて伝を作った。秦の滅学に遭っても口伝は残った。漢初、公羊・谷梁・鄒氏・夾氏の四家が並び行われた。王莽の乱で鄒氏は師を失い夾氏は亡びた。初め斉人胡母子都が『公羊春秋』を伝え東海の嬴公に授け、嬴公は東海の孟卿に授け、孟卿は魯人眭孟に授け、眭孟は東海の厳彭祖・魯人の顔安楽に授けた。これにより後漢の『公羊』には厳氏・顔氏の学があり谷梁とともに三家が並立した。漢末、何休がまた『公羊解説』を作った。『左氏』は漢初、張蒼の家から出たが元来伝える者がなかった。文帝の時、梁の太傅賈誼が訓詁を作り趙人貫公に授けた。その後劉歆が経籍を校勘し正して学に立てようとしたが諸儒は応じなかった。建武中、尚書令韓歆が立てることを請うたが実現しなかった。時に陳元が最も『左伝』に明るく上書して訟えた。これにより魏郡の李封を『左氏』博士とした。後に頑迷な儒者たちが度々朝廷で争ったため、封の死後にはついに廃止された。しかし諸儒で『左氏』を伝える者は多かった。永平中、『左氏』に長じた者は高第として講郎に抜擢された。その後賈逵・服虔がともに訓解を作った。魏に至りついに世に行われた。晋の時、杜預がまた『経伝集解』を作った。『谷梁』は范甯注、『公羊』は何休注、『左氏』は服虔・杜預注がいずれも国学に立てられた。しかし『公羊』『谷梁』は文を試読するのみでその義に通じることはなかった。後学が三伝を通講するようになったが『左氏』だけは服氏の義のみが伝わった。隋に至り杜氏が盛んに行われ服義及び『公羊』『谷梁』は衰微し今ではほぼ師説がない。
孝經
- 《古文孝経》1巻。孔安国の伝。梁末に亡逸し今の本は古本ではないと疑われる。
- 《孝経》1巻。鄭氏の注。梁には馬融・鄭衆注『孝経』2巻もあったが亡失。
- 《孝経》1巻。王粛の解。梁には魏の散騎常侍蘇林・吏部尚書何晏・光禄大夫劉邵・孫氏らの注『孝経』各1巻もあったが亡失。
- 《孝経解賛》1巻。韋昭の解。
- 《孝経黙注》1巻。徐整の注。
- 《集解孝経》1巻。謝万の集。
- 《集議孝経》1巻。晋の中書郎荀昶の撰、亡失。
- 《集議孝経》1巻。晋の東陽太守袁敬仲の集。梁には『孝経皇義』1巻(宋均撰)、また晋の給事中楊泓・処士虞槃佐・孫氏・東陽太守殷仲文・晋陵太守殷叔道・丹陽尹車胤・孔光ら各注『孝経』1巻、荀昶注『孝経』2巻、宋の何承天・費沈、斉の光禄大夫王玄載、国子博士明僧紹、梁の五経博士厳植之、尚書功論郎曹思文、羽林監江系之、江遜ら注『孝経』各1巻、釈慧始注『孝経』1巻、陶弘景『集注孝経』1巻、諸葛循『孝経序』1巻もあったが亡失。
- 《孝経》1巻。釈慧琳の注。梁には晋の穆帝時『晋孝経』1巻、武帝時『送総明館孝経講』『議』各1巻、宋の大明中『東宮講』、斉の永明3年『東宮講』、斉の永明中『諸王講』及び賀緌講・議『孝経義疏』各1巻、斉の臨沂令李玉之が始興王のために講じた『孝経義疏』2巻もあったが亡失。
- 《孝経義疏》18巻。梁の武帝の撰。梁には皇太子講『孝経義』3巻、天監8年皇太子講『孝経義』1巻、梁の簡文帝『孝経義疏』5巻、蕭子顕『孝経義疏』1巻もあったが亡失。
- 《孝経敬愛義》1巻。梁の吏部尚書蕭子顕の撰。
- 《孝経私記》4巻。無名先生の撰。
- 《孝経義》1巻
- 《孝経義疏》1巻。趙景韶の撰。
- 《孝経義疏》3巻。皇侃の撰。
- 《孝経私記》2巻。周弘正の撰。
- 《古文孝経述義》5巻。劉炫の撰。
- 《孝経講疏》6巻。徐孝克の撰。
- 《孝経義》1巻。梁の揚州文学従事太史叔明の撰。梁には『孝経玄』『孝経図』各1巻、『孝経孔子図』2巻もあったが亡失。
- 《国語孝経》1巻
以上18部、63巻。亡失した書を通計すると合わせて59部、114巻となる。
:孝とは天の経、地の義、人の行いである。天子から庶人に至るまで尊卑の差はあっても孝を行う意義は同じである。先王はこれによって国家を治め天下を教化した、それゆえ厳しくせずとも順い、粛にせずとも成る。まさに生霊の至徳、王者の要道である。孔子は六経を敘した後、題目が異なり指意も差別があることでこの道が離散することを恐れ『孝経』を作って総会させ、枝流は分かれても本は孝に萌すことを明らかにした。秦の焚書に遭い、河間人顔芝が蔵していた。漢初、芝の子貞がこれを出し合わせて18章となった。長孫氏・博士江翁・少府後蒼・諫議大夫翼奉・安昌侯張禹がみなその学を名乗った。また『古文孝経』は『古文尚書』と同じ出所であるが、長孫氏には『閨門』1章があり、その他の経文は大方相似ていた。篇簡は欠損しまた3章の衍出があり、前と合わせて22章とし孔安国がこれに伝を付けた。劉向が経籍を校勘した際、顔本を古文と比べ繁雑な誤りを除き18章を定本とした。鄭衆・馬融がともに注を作った。また鄭氏注もあり、伝えでは鄭玄とされるが、その立義は玄が注した他の書と異なるため疑われている。梁代、安国及び鄭氏の二家がともに国学に立てられたが、安国の本は梁の乱で亡んだ。陳及び周・斉ではただ鄭氏のみが伝わった。隋に至り秘書監王劭が京師で『孔伝』を訪ね得て河間の劉炫に送った。炫はその得喪を序し議疏を著し、民間で講じ次第に朝廷に聞こえ、後に令を著し鄭氏とともに立てられた。儒者たちは炫が自ら作ったもので孔氏の旧本ではなく、秘府にも元来その書がなかったと喧しく論じている。また魏氏の洛陽遷都の際、まだ華語に通じなかったため、孝文帝が侯伏侯可悉陵に命じ夷言で『孝経』の旨を訳させ国人に教えたといい、これを『国語孝経』と呼ぶ。今これを取ってこの篇の末に付す。
論語
- 《論語》10巻。鄭玄の注。梁には『古文論語』10巻(鄭玄注)、また王粛・虞翻・譙周ら注『論語』各10巻もあったが亡失。
- 《論語》9巻。鄭玄の注、晋の散騎常侍虞喜の賛。
- 《集解論語》10巻。何晏の集。
- 《集注論語》6巻。晋には8巻本があり、晋の太保衛瓘の注。梁には『論語補闕』2巻(宋明帝が衛瓘の闕を補う)もあったが亡失。
- 《論語集義》8巻。晋の尚書左中兵郎崔豹の集。梁には10巻本があった。
- 《論語》10巻。晋の著作郎李充の注。
- 《集解論語》10巻。晋の廷尉孫綽の解。梁には盈氏及び孟整注『論語』各10巻もあったが亡失。
- 《集解論語》10巻。晋の兗州別駕江熙の解。
- 《論語》7巻。盧氏の注。梁には晋の国子博士梁覬・益州刺史袁喬・尹毅・司徒左長史張憑及び陽恵明、宋の新安太守孔澄之、斉の員外郎虞遐及び許容、曹思文注、釈僧智略解、梁の太史叔明集解、陶弘景集注『論語』各10巻、また『論語音』2巻(徐邈ら撰)もあったが亡失。
- 《論語難鄭》1巻。梁には『古論語義注譜』1巻(徐氏撰)、『論語隠義注』3巻、『論語義注』3巻もあったが亡失。
- 《論語難鄭》1巻
- 《論語標指》1巻。司馬氏の撰。
- 《論語雑問》1巻
- 《論語孔子弟子目録》1巻。鄭玄の撰。
- 《論語体略》2巻。晋の太傅主簿郭象の撰。
- 《論語旨序》3巻。晋の衛尉繆播の撰。
- 《論語釈疑》3巻。王弼の撰。
- 《論語釈》1巻。張憑の撰。
- 《論語釈疑》10巻。晋の尚書郎欒肇の撰。梁には『論語釈駁』3巻(王粛撰)、『論語駁序』2巻(欒肇撰)、『論語隠』1巻(郭象撰)、『論語蔵集解』1巻(応琛撰)、『論語釈』1巻(曹毗撰)、『論語君子無所争』1巻(庾亮撰)、『論語釈』1巻(李充撰)、『論語釈』1巻(庾翼撰)、『論語義』1巻(王濛撰)、また蔡系『論語釈』1巻、張隠『論語釈』1巻、郤原『通鄭』1巻、王氏『修鄭錯』1巻、姜処道『論釈』1巻もあったが亡失。
- 《論語別義》10巻。範暠の撰。梁には『論語疏』8巻(宋の司空法曹張略ら撰)、『新書対張論』10巻(虞喜撰)もあった。
- 《論語義疏》10巻。褚仲都の撰。
- 《論語義疏》10巻。皇侃の撰。
- 《論語述義》10巻。劉炫の撰。
- 《論語義疏》8巻
- 《論語講疏文句義》5巻。徐孝克の撰、残欠。
- 《論語義疏》2巻。張沖の撰。梁には『論語義注図』12巻もあったが亡失。
- 《孔叢》7巻。陳勝博士孔鮒の撰。梁には『孔志』10巻(梁の太尉参軍劉被撰)もあったが亡失。
- 《孔子家語》21巻。王粛の解。梁には『当家語』2巻(魏の博士張融撰)もあったが亡失。
- 《孔子正言》20巻。梁の武帝の撰。
- 《爾雅》3巻。漢の中散大夫樊光の注。梁には漢の劉歆、犍為文学・中黄門李巡『爾雅』各3巻もあったが亡失。
- 《爾雅》7巻。孫炎の注。
- 《爾雅》5巻。郭璞の注。
- 《集注爾雅》10巻。梁の黄門郎沈璆の注。
- 《爾雅音》8巻。秘書学士江氵崔の撰。梁には『爾雅音』2巻(孫炎・郭璞撰)もあった。
- 《爾雅図》10巻。郭璞の撰。梁には『爾雅図賛』2巻(郭璞撰)もあったが亡失。
- 《広雅》3巻。魏の博士張揖の撰。梁には4巻本があった。
- 《広雅音》4巻。秘書学士曹憲の撰。
- 《小爾雅》1巻。李軌の略解。
- 《方言》13巻。漢の揚雄の撰、郭璞の注。
- 《釈名》8巻。劉熙の撰。
- 《弁釈名》1巻。韋昭の撰。
- 《五経音》10巻。徐邈の撰。
- 《五経正名》12巻。劉炫の撰。
- 《白虎通》6巻
- 《五経異義》10巻。後漢の太尉祭酒許慎の撰。
- 《五経然否論》5巻。晋の散騎常侍譙周の撰。
- 《五経拘沈》10巻。晋の高涼太守楊方の撰。
- 《五経大義》3巻。戴逵の撰。梁には『通五経』5巻(王氏撰)、『五経諮疑』8巻(周楊撰)、『五経異同評』1巻(賀緌撰)、『五経秘表要』3巻もあったが亡失。
- 《五経大義》10巻。後周の県伯中大夫樊文深の撰。
- 《経典大義》12巻。沈文阿の撰。
- 《五経大義》5巻。何妥の撰。
- 《五経通義》8巻。梁には9巻本があった。
- 《五経義》6巻。梁には7巻本があった。梁にはまた『五経義略』1巻もあったが亡失。
- 《五経要義》5巻。梁には17巻本があり、雷氏の撰。
- 《五経析疑》28巻。邯鄲綽の撰。
- 《五経宗略》23巻。元延明の撰。
- 《五経雑義》6巻。孫暢之の撰。
- 《長春義記》100巻。梁の簡文帝の撰。
- 《大義》9巻
- 《遊玄桂林》9巻。張譏の撰。
- 《六経通数》10巻。梁の舎人鮑泉の撰。
- 《七経義綱》29巻。樊文深の撰。
- 《七経論》3巻。樊文深の撰。
- 《質疑》5巻。樊文深の撰。
- 《経典玄儒大義序録》2巻。沈文阿の撰。
- 《玄義問答》2巻
- 《六藝論》1巻。鄭玄の撰。
- 《聖証論》12巻。王粛の撰。
- 《鄭志》11巻。魏の侍中鄭小同の撰。
- 《鄭記》6巻。鄭玄弟子の撰。
- 《諡法》3巻。劉熙の撰。
- 《諡法》10巻。特進・中軍将軍沈約の撰。
- 《諡法》5巻。梁の太府卿賀緌の撰。
- 《江都集礼》126巻
以上73部、781巻。亡失した書を通計すると合わせて116部、1,027巻となる。
:『論語』は孔子の弟子が記録したものである。孔子は六経を敘した後、洙・泗のほとりで講じ、門徒は3千、達した者は70人であった。夫子との応答や私的な講義で、道に合う言葉は紳に書き付け、あるいは絶えず記憶された。仲尼の没後、これを緝め論じ『論語』と呼んだ。漢初、斉・魯の異なる説があり、斉人の伝は22篇、魯人の伝は20篇であった。斉では昌邑中尉王吉、少府宗畸、御史大夫貢禹、尚書令五鹿充宗、膠東の庸生が、魯では常山都尉龔奮、長信少府夏侯勝、韋丞相節侯父子、魯の扶卿、前将軍蕭望之、安昌侯張禹がそれぞれその学を名乗った。張禹はもともと『魯論』を教えていたが晩年『斉論』も講じ、後にこれを合わせて考証し繁雑を削り、『斉論』の『問王』『知道』二篇を除き『魯論』20篇を定本として『張侯論』と称され当世に重んじられた。周氏・包氏がこれに章句を付け、馬融もまた訓を作った。また古『論語』は『古文尚書』と同じ出所で、章句の煩省は『魯論』と変わらないが『子張』のみ2篇に分けているため21篇あった。孔安国がこれに伝を付けた。漢末、鄭玄は『張侯論』を本として『斉論』『古論』を参考に注を作った。魏の司空陳群、太常王粛、博士周生烈はみな義説を作った。吏部尚書何晏はまた集解を作った。以後諸儒が多く注を作り『斉論』はついに亡んだ。『古論』は元来師説がなく、梁・陳の時には鄭玄・何晏のみが国学に立てられ鄭氏は甚だ衰微した。周・斉では鄭学のみが独立して伝わった。隋に至り何・鄭がともに行われ、鄭氏が民間で盛んになった。『孔叢』『家語』はともに孔氏が伝えた仲尼の旨である。『爾雅』諸書は古今の意を解し五経総義とともにこの篇に付す。
經緯
- 《河図》20巻。梁には『河図洛書』24巻・目録1巻もあったが亡失。
- 《河図竜文》1巻
- 《易緯》8巻。鄭玄の注。梁には9巻本があった。
- 《尚書緯》3巻。鄭玄の注、梁には6巻本があった。
- 《尚書中候》5巻。鄭玄の注。梁には8巻本があったが今は残欠。
- 《詩緯》18巻。魏の博士宋均の注。梁には10巻本があった。
- 《礼緯》3巻。鄭玄の注、亡失。
- 《礼記黙房》2巻。宋均の注。梁には3巻本(鄭玄注)もあったが亡失。
- 《楽緯》3巻。宋均の注。梁には『楽五鳥図』1巻もあったが亡失。
- 《春秋災異》15巻。郗萌の撰。梁には『春秋緯』30巻(宋均注)、『春秋内事』4巻、『春秋包命』2巻、『春秋秘事』11巻、『書易詩孝経春秋河洛緯秘要』1巻、『五帝鉤命訣図』1巻もあったが亡失。
- 《孝経勾命訣》6巻。宋均の注。
- 《孝経援神契》7巻。宋均の注。
- 《孝経内事》1巻。梁には『孝経雑緯』10巻(宋均注)、『孝経元命包』1巻、『孝経古秘援神』2巻、『孝経古秘図』1巻、『孝経左右握』2巻、『孝経左右契図』1巻、『孝経雌雄図』3巻、『孝経異本雌雄図』2巻、『孝経分野図』1巻、『孝経内事図』2巻、『孝経内事星宿講堂七十二弟子図』1巻、また『口授図』1巻、また『論語讖』8巻(宋均注)、『孔老讖』12巻、『老子河洛讖』1巻、『尹公讖』4巻、『劉向讖』1巻、『雑讖書』29巻、『堯戒舜禹』1巻、『孔子王明鏡』1巻、『郭文金雄記』1巻、『王子年歌』1巻、『嵩高道士歌』1巻もあったが亡失。
以上13部、92巻。亡失した書を通計すると合わせて32部、232巻となる。
:『易』に「河は図を出し、洛は書を出す」とある。聖人が天命を受けるのは必ず徳を積み業を累ね、誠が天地に著れ恩沢が万民に及び、万物が帰往し神明が福を与える時であり、そこに天命の応が現れる。亀竜が銜え負って河・洛から現れ易代の徴を記すとされ、その理は幽昧で神道を究極する。先王は人を惑わすことを恐れ秘して伝えなかった。孔子が六経を敘した後、天人の道を明らかにしたが後世がその意を同じくして稽えられないことを知り、別に緯及び讖を立てて後世に遺したという説もある。その書は前漢に出て『河図』9篇、『洛書』6篇があり、黄帝から周の文王までに受けた本文とされる。また別に30篇があり、初めから孔子に至るまで9聖が増演したものとされる。また『七経緯』36篇があり孔子の作とされ、前と合わせて81篇となる。さらに『尚書中候』『洛罪級』『五行伝』『詩推度災』『氾曆枢』『含神務』『孝経勾命訣』『援神契』『雑讖』等の書もある。漢代には郗氏・袁氏の説があった。漢末、郎中郗萌が図緯讖雑占を集めて50篇とし『春秋災異』と呼んだ。宋均・鄭玄がともに讖律の注を作った。しかしその文辞は浅俗で顛倒し誤りが多く聖人の旨とは似ていない。世人が後に造作したものと相伝えて疑われ、あるいはさらに点竄が加えられ実録ではないともいう。王莽が符命を好んだことに始まり光武帝が図讖によって興ったことから世に盛んに行われた。漢時、東平王蒼に五経章句を正すよう詔し、みな讖に従わせた。俗儒は時流に従いその学を益々広め、篇巻の題目も次第に増広された。五経を説く者はみな讖を憑りどころとし、ただ孔安国・毛公・王璜・賈逵の徒だけがこれを非とし、代々妖妄として中庸の典を乱すものと考えた。それゆえ漢の魯恭王・河間献王が得た古文に依拠して考証し義を成し「古学」と呼んだ。当世の儒者はこれをまた非毀し結局は行われなかった。魏代の王粛が古学を引いてその義を非とした。王弼・杜預がこれを継承し明らかにし、これより古学が次第に立てられた。宋の大明中に至り初めて図讖が禁じられ、梁の天監以後さらに制限が重くなった。高祖が受禅すると禁令をさらに切迫させ、煬帝が即位すると使者を四方に派遣し天下の書籍で讖緯に関わるものをすべて焼かせ、告発された者は死罪とした。これ以後その学は絶え秘府の中でも多くが散逸した。今その現存するものを録し六経の下に列して異説に備える。
小學
- 《三蒼》3巻。郭璞の注。秦の丞相李斯が『蒼頡篇』を作り、漢の揚雄が『訓纂篇』を作り、後漢の郎中賈魴が『滂喜篇』を作ったため『三蒼』と呼ばれる。梁には『蒼頡』2巻(後漢の司空杜林注)もあったが亡失。
- 《埤蒼》3巻。張揖の撰。梁には『広蒼』1巻(樊恭撰)もあったが亡失。
- 《急就章》1巻。漢の黄門令史遊の撰。
- 《急就章》2巻。崔浩の撰。
- 《急就章》3巻。豆盧氏の撰。
- 《呉章》2巻。陸機の撰。
- 《小学篇》1巻。晋の下邳内史王義の撰。
- 《少学》9巻。楊方の撰。
- 《始学》1巻
- 《勧学》1巻。蔡邕の撰。司馬相如『凡将篇』、班固『太甲篇』『在昔篇』、崔瑗『飛竜篇』、蔡邕『聖皇篇』『黄初篇』『呉章篇』『女史篇』を合わせて8巻、また『幼学』2巻(硃育撰)、『始学』12巻(呉の郎中項峻撰)、また『月儀』12巻もあったが亡失。
- 《発蒙記》1巻。晋の著作郎束皙の撰。
- 《啓蒙記》3巻。晋の散騎常侍顧愷之の撰。
- 《啓疑記》3巻。顧愷之の撰。
- 《千字文》1巻。梁の給事郎周興嗣の撰。
- 《千字文》1巻。梁の国子祭酒蕭子雲の注。
- 《千字文》1巻。胡粛の注。
- 《篆書千字文》1巻
- 《演千字文》5巻
- 《草書千字文》1巻
- 《古今字詁》3巻。張揖の撰。梁には『難字』1巻・『錯誤字』1巻(ともに張揖撰)、『異字』2巻(硃育撰)、『字属』1巻(賈魴撰)もあったが亡失。
- 《雑字解詁》4巻。魏の掖庭右丞周氏の撰。梁には『解文字』7巻(周成撰)、『字義訓音』6巻、『古今字苑』10巻(曹侯彦撰)もあったが亡失。
- 《雑字指》1巻。後漢の太子中庶子郭顕卿の撰。
- 《字指》2巻。晋の朝議大夫李彤の撰。梁には『単行字』4巻(李彤撰)、また『字偶』5巻もあったが亡失。
- 《説文》15巻。許慎の撰。梁には『演説文』1巻(庾儼黙注)もあったが亡失。
- 《説文音隠》4巻
- 《字林》7巻。晋の弦令呂忱の撰。
- 《字林音義》5巻。宋の揚州督護呉恭の撰。
- 《古今字書》10巻
- 《字書》3巻
- 《字書》10巻
- 《字統》21巻。陽承慶の撰。
- 《玉篇》31巻。陳の左衛将軍顧野王の撰。
- 《字類叙評》3巻。侯洪伯の撰。
- 《要字苑》1巻。宋の豫章太守謝康楽の撰。梁には『常用字訓』1巻(殷仲堪撰)、『要用字対誤』4巻(梁の軽車参軍鄒誕生撰)もあったが亡失。
- 《要用雑字》3巻。鄒裡の撰。梁には『文字要記』3巻(王義撰)もあったが亡失。
- 《俗語難字》1巻。秘書少監王劭の撰。
- 《雑字要》3巻。密州行参軍李少通の撰。
- 《文字整疑》1巻
- 《正名》1巻
- 《文字集略》6巻。梁の文貞処士阮孝緒の撰。
- 《今字弁疑》3巻。李少通の撰。
- 《異字同音》1巻。梁には『釈字同音』3巻(宋の散騎常侍吉文甫撰)もあった。
- 《字宗》3巻。薛立の撰。
- 《文字譜》1巻。梁には『古今文字序』1巻(劉歊撰)、『文字統略』1巻(焦子明撰)もあったが亡失。
- 《文字弁嫌》1巻。彭立の撰。
- 《弁字》1巻。戴規の撰。
- 《雑字音》1巻
- 《借音字》1巻
- 《音書考源》1巻
- 《声韻》41巻。周研の撰。
- 《声類》10巻。魏の左校令李登の撰。
- 《韻集》10巻
- 《韻集》6巻。晋の安復令呂静の撰。
- 《四声韻林》28巻。張諒の撰。
- 《韻集》8巻。段弘の撰。
- 《群玉典韻》5巻。梁には『文章音韻』2巻(王該撰)、また『五音韻』5巻もあったが亡失。
- 《韻略》1巻。陽休之の撰。
- 《修続音韻訣疑》14巻。李概の撰。
- 《纂韻鈔》10巻
- 《四声指帰》1巻。劉善経の撰。
- 《四声》1巻。梁の太子少傅沈約の撰。
- 《四声韻略》13巻。夏侯詠の撰。
- 《音譜》4巻。李概の撰。
- 《韻英》3巻。釈静洪の撰。
- 《通俗文》1巻。服虔の撰。
- 《訓俗文字略》1巻。後斉の黄門郎顔之推の撰。
- 《証俗音字略》6巻。梁には『詁幼』2巻(顔延之撰)、『広詁幼』1巻(宋の給事中荀楷撰)もあったが亡失。
- 《文字音》7巻。晋の蕩昌長王延の撰。梁には『纂文』3巻もあったが亡失。
- 《翻真語》1巻。王延の撰。
- 《真言鑒誡》1巻
- 《字書音同異》1巻
- 《叙同音義》3巻
- 《河洛語音》1巻。王長孫の撰。
- 《国語》15巻
- 《国語》10巻
- 《鮮卑語》5巻
- 《国語物名》4巻。後魏の侯伏侯可悉陵の撰。
- 《国語真歌》10巻
- 《国語雑物名》3巻。侯伏侯可悉陵の撰。
- 《国語十八伝》1巻
- 《国語御歌》11巻
- 《鮮卑語》10巻
- 《国語号令》4巻
- 《国語雑文》15巻
- 《鮮卑号令》1巻。周の武帝の撰。
- 《雑号令》1巻
- 《古文官書》1巻。後漢の議郎衛敬仲の撰。
- 《古今奇字》1巻。郭顕卿の撰。
- 《六文書》1巻
- 《四体書勢》1巻。晋の長水校尉衛恆の撰。
- 《雑体書》9巻。釈正度の撰。
- 《古今八体六文書法》1巻
- 《古今篆隷雑字体》1巻。蕭子政の撰。
- 《古今文等書》1巻
- 《篆隷雑体書》2巻
- 《文字図》2巻
- 《古今字図雑録》1巻。秘書学士曹憲の撰。
- 《婆羅門書》1巻。梁には『扶南胡書』1巻もあった。
- 《外国書》4巻
- 《秦皇東巡会稽刻石文》1巻
- 《一字石経周易》1巻。梁には3巻本があった。
- 《一字石経尚書》6巻。梁には『今字石経鄭氏尚書』8巻もあったが亡失。
- 《一字石経魯詩》6巻。梁には『毛詩』2巻もあったが亡失。
- 《一字石経儀礼》9巻
- 《一字石経春秋》1巻。梁には1巻本があった。
- 《一字石経公羊伝》9巻
- 《一字石経論語》1巻。梁には2巻本があった。
- 《一字石経典論》1巻
- 《三字石経尚書》9巻。梁には13巻本があった。
- 《三字石経尚書》5巻
- 《三字石経春秋》3巻。梁には12巻本があった。
以上108部、447巻。亡失した書を通計すると合わせて135部、569巻となる。
:孔子は「必ずや名を正さん」と言った。名とは書字をいう。「名正しからざれば言順わず、言順わざれば事成らず」という。書の起こりは黄帝の蒼頡に始まるとされる。類を比べ形を象るのを文といい、形声が互いに補うのを字といい、竹帛に著すのを書という。ゆえに象形・諧声・会意・転注・仮借・処事の六義の区別がある。古者、童子は示されても誑かされず、6歳で数と方名を教えられ、10歳で小学に入り書計を学び、20歳で冠して初めて先王の道を習い、これによって徳を成し事に任じることができた。蒼頡から漢初に至るまで書は五変を経た。一に古文、蒼頡が作ったもの。二に大篆、周の宣王の時史籀が作ったもの。三に小篆、秦の李斯が作ったもの。四に隷書、程邈が作ったもの。五に草書、漢初に作られたもの。秦は古文を廃し初めて八体を用いた、大篆・小篆・刻符・摹印・虫書・署書・殳書・隷書である。漢は六体で学童を教え、古文・奇字・篆書・隷書・繆篆・虫鳥に加え槁書・楷書・懸針・垂露・飛白等20余種の書法があり、いずれも上の六書から派生した。魏世にはさらに八分書があった。字義の訓読には『史籀篇』『蒼頡篇』『三蒼』『埤蒼』『広蒼』等の諸篇章、訓詁・『説文』『字林』・音義・声韻・体勢等の諸書がある。後漢の仏法伝来後、西域の胡書を得て14字で一切の音を貫くことができ、文は省かれ義は広く「婆羅門書」と呼ばれ八体六文の義とは全く異なる、今これを取って体勢の下に付す。また後魏が初めて中原を定めた際、軍容号令はみな夷語を経ていたが後に華俗に染まり多くが通じなくなったため、その本言を記録し相伝えて教習した、これを「国語」と呼び今これを取って音韻の末に付す。また後漢が七経を刻して石碑に著したが、いずれも蔡邕の書によるものである。魏の正始中にはまた三字石経が立てられ、七経の正字として相承された。後魏の末、斉の神武帝が政を執り洛陽から鄴都に移した際、河陽を通過した時に岸が崩れ水没した。鄴に到達したのは半分にも満たなかった。隋の開皇6年、また鄴京から長安に運び入れ秘書内省に置き、補緝して国学に立てようとしたが、隋の乱に遭いその事は中止となり、営造の役人がこれを柱礎として使ってしまった。貞観の初め、秘書監の臣魏徴が初めてこれを収集したが十のうち一つも残っていなかった。相伝わる拓本は今も秘府にあり、秦帝の刻石とともにこの篇に付し小学に備える。
凡そ六藝経緯は627部、5,371巻。亡失した書を通計すると合わせて950部、7,290巻となる。
【結】
『伝』に「玉琢かざれば器を成さず、人学ばざれば道を知らず」とある。古の君子は多く識っても窮まらず、疑いを畜えて問いを待ち、学は等を逾えず教えは節を陵がず、言は約にして曉りやすく、師は逸にして功は倍する。且つ耕し且つ養い、3年で一芸を成した。孔子の没後、微言が絶え七十子が喪われ大義が乖離すると、学者は群れを離れ独り居し各々異説を立てた。戦国に至ると典文は遺棄され、六経の儒者もその宗旨を究めることができず、多く小数を立て一経に数百万言を費やすようになった。学者は理解に苦しみ空しく問答を誦えるだけで、脣が腐り歯が落ちても益を知らなかった。先王の設教は人欲を防ぐためのもので必ず人事に基づき中道に折衷した。上天の命は略して稀にしか言わず、方外の理はもとより説かなかった。後漢に至り図讖を好み、晋世には玄言を重んじ、穿鑿妄作が日々増えていった。先王の正典は妖妄と混じり、大雅の論は放誕によって濁った。次第に近代に至るまで正しい道からますます遠ざかり師資の法もなくなった。学問は心で理解せず専ら浮華を尊び、あらかじめ雑難を作り仇対を擬え、芟角・反対・互従等の翻競の説が生まれた。煩雑な言葉を馳せて彝敘を紊し、囂々として俗となっても変わることを知らない、これが学者の弊である。班固は六藝を九種に列したが、緯書で経を解する者もあり合わせて十種とする。