- およそ漢紀において、年・本紀・表・志・伝と称するものは、史書を著した者たちの本来の言葉である。「論」と称するものは臣悦が論じたところである。おおまかにその大事を示し、得失を照らし合わせ、見聞を広めるためである。
- 漢は四百二十六年であった。皇帝は乱を撥めて正に返し、武を統べ文を興し、永く祖宗の大業を思い、万世の後嗣に光を開くことを念じられた。大いなる道を明らかにし総べ、国の典籍および諸書を立てるよう命じられた。そこで旧きを考え、通し連ね、要点を体して漢紀を述べた。
- 易に「多く前人の言と行いを識ってその徳を蓄える」とあり、詩に「古の訓をこそ手本とする」とある。中興以前の一時の事、明主・賢臣の規模と法則、得失の跡もまた鑑とするに足る。
- 漢書百篇を撰して往時の事を総べた。後に来る者もまたこれを鑑とすることを望む。その辞にいう。
- 茫々たる上古は縄を結んで治め、そこで文字が作られた。典謨は備わったという。明らかな徳こそ馨しく、万世に光る。その中ごろには陶唐があり、大いに顕らかにその規範を示し、天に配して明らかであった。蕩々たるその道、その文はきらめいている。周に至って、日に向かうように光を重ねた。
- 赫たる大漢は天下を統べる元の功。穆々として敬うべきは二祖六宗。明々たる皇帝は大いなる緒を承け継いだ。国の憂いに遭い、苦しみに困しんだが、まことに天が徳を生じ、運に応じて主を建てた。矯々たる俊臣が国の輔となった。
- 我らの願うところを成し遂げさせ、徳ある者を佑けようとされた。乱を撥めて正に返し、大いに秩序を建てた。武功がすでに列ねられ、そこで文を助けた。礼は前代の軌に則る。我が小臣に命じて典籍を著させ、旧き勲を立てさせた。往を総べ来を照らし、永く後の世の鑑とする。侍中悦、上る。
- 漢紀の本文は全部で七万二千四百三十二字。王莽の部分は一万字。莽は摂政すること三年、真の位に即いて十五年、合わせて十八年である。