孺子嬰への策命
- 莽は十月癸酉朔をもって建国元年とした。春、天下に大赦した。
- そして孺子に策命した。ああ嬰よ。昔、皇天は汝の太祖を助け、歴代十二、国を享けること二百十年であった。天の暦数は今わが身にある。詩に言うではないか、諸侯は周に服す、天命は常ならず、と。汝を封じて定安公とし、永く新室の賓とする。ああ、天の恵みを敬い、往きて汝の位に就け。朕の命を廃するな、と。
- 平原・安徳・漯陰・鬲・重丘の合わせて一万戸をもって安定公の国とした。漢の祖宗の廟をその国に立て、周の後裔と並んでその正朔と服色を用いさせた。
- 策を読み終えると、莽は自ら孺子の手を執り、涙を流してすすり泣いて言った。昔、周公は位を摂したが、最後には主君に政を返すことができた。今、私だけは皇天の威命に迫られて意のままにできない、と。哀しみ嘆ずることしばらくであった。
- 中傅が太子を導いて殿を下り、北面して臣と称した。百官が列に陪し、感動しない者はなかった。
- 孝平皇帝の后を安定太后とし、さらに号を改めて黄皇室主とした。これを嫁がせようとしたが、主は承知しなかった。
新室の官制と貨幣
- 莽は金匱に照らして輔臣をみな封じ任じた。王舜を太師、平晏を太傅、劉歆を国師、哀章を国将とし、これを四輔とした。甄邯を大司馬、王尋を大司徒、王邑を大司空とし、これを三公とした。甄豊を更始将軍、王興を衛将軍、孫建を立国将軍、王盛を前将軍とし、これを四輔将軍とした。合わせて十一人、符命に記された名に合わせたのである。
- 孺子はその邸に住まわせ、使者に監視させ、乳母や側仕えに口をきくことを禁じた。成長しても六畜の名を言えなかった。
- 莽は諸侯王をすべて公と称させ、四夷はすべて侯に改めた。
- さらに小銭を作った。径六分、銘は「小銭」。大銭一つで五十に当たるものとの二品を併用した。
劉快の挙兵と符命の頒布
- 夏四月、徐郷侯の劉快が千数の党を結び、封国で兵を起こした。快の兄の殷はもと漢の膠東王で、このとき扶公国と改められ即墨にあった。快が殷を攻め撃つと、殷は城を閉じて防いだ。快は敗走して死んだ。莽は殷の国を増して一万戸とした。
- 井田制を復した。
- 五威将軍の王奇らを遣わし、符命四十二篇を天下に頒布して漢に代わった証を明らかにした。天下に赦を行った。
- 五威将軍はみな乾の文様の車に乗り坤の六頭の馬を駕し、背に鷩鳥の羽を負い、服飾はきわめて壮麗であった。それぞれ左右前後中の帥を置いて合わせて五帥とし、衣冠はそれぞれの方角の色に合わせた。将軍は節を持って「大一の使」と称し、帥は幢を持って「五帝の使」と称した。
- 雷桐・華真定・劉都らが挙兵を謀ったが、発覚して誅せられた。真定・常山で大きな雹が降った。