前漢紀前漢孝平皇帝紀 三年 8年

即真への準備と符命

  • 春、地震があった。天下に大赦した。趙明・霍鴻らはみな討ち破られた。
  • 莽は自らの威徳がいよいよ盛んで天と人の助けを得たと考え、真の帝位に即くことを謀った。
  • 秋七月、莽の母の功顕君が死んだ。莽の心は喪にはなかった。緦衰の服を作って麻の環絰を加えた。天子が諸侯を弔う礼である。自らは天子の位を摂しているので実の親には服せないとしたのである。一度の弔いも会葬もすべてその形式のままとし、新都侯の崇を喪主として三年の喪に服させた。
  • 広饒侯の劉京が上書して言った。斉郡臨淄県の亭長が、死にかけたときに人に会い、天公が私を遣わして告げさせる、居摂皇帝は真の皇帝となるべきである、私の言が信じられなければ亭の中に新しい井戸があるはずだ、と言われた。亭長が起きて庭を見ると、深さ百尺の新しい井戸があった、と。
  • また太保の臧洪が新井の亭長の符命を奏上し、雍の巴郡で銅の符と帛の図を得た、その文に「天、帝の符を告ぐ。献ずる者は侯に封ぜよ」とある、と言った。
  • 莽は居摂三年を改めて初始元年とした。
  • 期門郎の張充らが謀を合わせ、莽を脅して楚王を立てようとしたが、発覚して誅死した。
  • 梓潼の人の哀章が銅の匱を作り、二つの封題をつけた。一つには「天帝行璽金匱図」、もう一つには「赤帝の璽、某、伝えて黄帝に与う」とした。莽の金策の書である。「某」とは高皇帝の名である。莽が真の天子であるとする図書であった。
  • 莽の大臣八人を挙げ、そこに王盛・王興・袁章を加え、哀章は自分の名も紛れ込ませた。合わせて十一人。いずれにも官爵を記して輔佐とした。これを高廟の僕射に託して奏聞させた。
  • 戊辰、莽は高廟に至って拝して金匱を受け、ついに天子の位に即いた。正朔を改め服色を変え、十二月を正月とし、鶏鳴の時を朔とし、色は黄を尊んだ。

伝国璽の奪取

  • 初め高帝の時に秦の玉璽を得て、それを用いて命令を下し、伝国璽と名づけていた。莽は王舜に命じて太后から求めさせた。
  • 太后は怒って舜を罵った。お前たちは義を顧みない。私は漢家の年老いた寡婦で、朝夕にも死ぬ身だ。この璽とともに葬られる。決して渡さない、と。太后は号泣して語り、左右の者で涙を流さぬ者はなかった。
  • 舜も悲しみに堪えず、しばらくして太后に申し上げた。臣らにはもう申し上げることがありません。莽は必ずこれを手に入れようとします。太后はいつまでも渡さずにいられましょうか、と。
  • 太后は力ずくで奪われることを恐れ、璽を出して地に投げつけて言った。私は老いてもう死ぬ。お前たち兄弟が久しからずして一族もろとも滅びるのが目に見える、と。
  • そして太后を尊んで新室文母とした。