春 白雉の献上と安漢公の号
- 春正月、越裳氏が通訳を重ねて白い雉一羽、黒い雉二羽を献じた。莽が益州にほのめかして献じさせたものである。
- 群臣が奏上して、莽の功徳は周公に比すべきであり、安漢公の号を賜って三万戸を加増すべきだとした。莽は加封を辞退した。孔光らは擁立の策を定めて宗廟を安んじた功でみな加増された。
- 二月丙辰、太傅の孔光を太師、車騎将軍の王舜を太保、大司空左将軍の甄豊を少傅とした。
- もと東平王雲の太子であった開明を王に立て、もと桃郷頃侯の子の成都を中山王とした。宣帝の玄孫の信ら三十六人を列侯に封じた。漢初からここまでに王子で侯となった者は合わせて四百八十人である。
- 諸侯王・関内侯・列侯で、子がなく孫がある者、あるいは同母兄弟の子がある者は、みな家督を継ぐことを認めた。
三月以降 官制と怪異
- 三月、羲和の官を置いて秩二千石とし、外史・閭師を秩六百石として教化を布いた。
- 朔方の広牧で女子の趙春が死に、納棺して六日後に棺の外に出ていた。自分は死んだ夫と父に会い、二十七歳だからまだ死ぬべきではないと言われた、と語った。志には、死者がまた生き返るのは、極まった陰が陽となり、下の者が上に立つ兆である、とある。
- 丙辰、義陵の寝で神衣が匣の中からひとりでに出て、外の牀の上にあった。
- 夏五月丁巳朔、日蝕があった。天下に赦を行った。
- 帝の母である中山孝王の姫を尊んで后とし、帝の外舅の衛宝とその弟の玄に関内侯の爵を与えた。帝の妹四人はいずれも「君」と号し、食邑はそれぞれ二千戸とした。
- 周公の後裔の公孫相如を褒魯侯、孔子の後裔の孔均を褒成侯に封じ、孔子に褒成宣尼公と追謚した。
- 六月、長安の女子が二つの頭を持つ児を生んだ。頸は別々で顔は向き合い、四本の腕が一つの胸につながって前を向き、尻の上に長さ二寸の目があった。
- 志には、およそ妖異が起こるのは正道を失ったことを譴めるためで、それぞれその類を象る、とある。頭が二つなのは上が一つでないこと、手が多いのは下が僭越であること、足が少ないのは任に堪えないこと、下半身が上に生じるのは不敬、上半身が下に生じるのは狎れ侮ること、生まれてすぐ大きいのは成長が速すぎること、生まれてすぐ物を言うのは虚飾を好むこと。諸々の妖異はこの類推で解ける。人が改めなければ凶事となる、と。
- 秋九月、天下の徒刑者に赦を行った。