前漢紀前漢孝成皇帝紀二 鴻嘉二年 前19年

雉の異と王音・谷永の諫言

  • 春、雲陽に行幸した。
  • 二月、博士が郷飲酒の礼を行っていると、雉が飛んで庭に集まり、階を伝って堂に昇って鳴いた。のちに諸府に集まり、また丞明殿の門の屋根の上に集まった。
  • 大司馬の王音が上書して、これは災異であり天の戒めだと述べた。後日、帝は王音に詔して、「捕らえた雉は羽がかなり折れていて、拘束されていたようだと聞いた。人が仕組んだのではないか」と問うた。
  • 王音は答えた。皇天が災異を示すのは人主を戒めようとするためです。誰の佞諂の計が聖徳を誤らせているのかは分かりませんが、左右におもねる者はたいそう多く、臣音を待つまでもありません。臣音までもがおもねって陛下に気づかせず、大禍が至れば、まず臣音が誅を受けるべきです。陛下は即位して十五年、継嗣が立たず、日夜出遊して、外には微行の害、内には疾痛の憂いがあるのに、ついに改められません。天でさえ陛下を感動させられないのに、どうして自分などが望めましょう。ただ極言して死を待つばかりです、と。
  • このころ帝は微行を好んだので、谷永が諫めた。易に「臣を得るに家無し」とあり、王者は天下を臣として得るのだから私家がない、と言う。いま陛下は万乗の至貴を捨てて家人の賤しい事を楽しみ、高美の尊号を厭うて匹夫の卑しい呼び名を好み、軽薄で義のない者を集めて私客とし、間に私田を置き、私の奴婢や車馬を蓄えている。北宮からたびたび身一つで単独に出て、小人と晩から朝まで連れ立ち、烏のように集まって吏民の家で酔い、服も混ざり合わせて共に座り、区別がつかない。門戸を掌り宿衛に当たる臣は空の宮で干戈を執り、公卿百僚は陛下の所在を知らない有様が数年に及んでいる。昔、虢公が無道であったとき神が降って「爾に土田を賜う」と言った。庶人として土田を受けることをいうもので、諸侯はそれを聞いて国を失う兆しだと言った。まして王者が私の田財を蓄え庶人の事を行うとはどうか、と。
  • このとき太后や諸々の舅たちはみな、帝に継嗣がなくたびたび微行することを憂えていた。そこで谷永を押し立てて切諫させ、内応したのである。
  • 敦厚で義を行い直言できる者を挙げるよう詔した。
  • 夏、郡国の豪傑で資産五百万以上の五千余戸を昌陵に移した。
  • 五月癸未、杜郵に石が三つ隕ちた。
  • 六月、中山憲王の孫の宏を広徳王に立てた。