経費の削減
- 春正月、周子南君を周承休侯とし、位次を諸侯王に次ぐものとした。
- 三月、雍に行幸し五畤を祠った。
- 夏四月、彗星が参宿に現れた。詔して、太官は日々の供物を殺さず各々半減し、乗輿の馬の秣は正事に欠けぬ程度とし、角觝の戯を廃し、上林の宮館でめったに行幸しないもの、斉の三服官、北仮の官田、塩鉄官、常平倉、博士弟子の定員を廃して学ぶ者を広げ、刑罰を省くなど、およそ七十余事を行った。
貢禹の奏議
- 御史大夫の陳万年が卒した。六月辛酉、長信少府の貢禹を御史大夫とした。
- 禹の奏。古の民には賦算・口銭がなかった。今、民は子が三歳になると口銭を出す。ゆえに民は重ねて困窮し、子を産んでも育てない。まことに痛ましいことだ。今後は児が七歳になり歯が生え変わってから口銭を出させ、十二歳で算賦とすべきである。
- また奏した。武帝の時、法を犯した者が粟を納めて贖罪し、吏に補されるようになった。それで国が乱れ民が貧しくなり盗賊が並び起こった。郡国は法を畏れ、上府を巧みに欺ける者を上位の職に就け、姦悪を抑えきれぬときは勇猛苛暴で下を威服できる者を大位に置いた。ゆえに義がなくても財のある者が世に顕れ、欺き侮って小器用な者が朝に尊ばれ、道に背いて勇猛な者が官に貴ばれる。行いは犬豚同然でも財と勢いが足りればそれが賢者とされる。官に居て富を致した者を雄傑と呼び、姦にありながら利を得た者を壮士と呼ぶ。兄は弟に勧め、父は子に励ます。風俗の敗壊はここまで来た。贖罪の法を廃し、選挙が実に基づかぬ者や贓のある者は、ただ免官にするのでなく必ず罪を行うべきである。そうすれば孝弟が貴ばれ商人が賤しまれ、賢能で廉直な者が進み、天下は治まる、と。
- 十二月丁未、貢禹が卒した。丁巳、長信少府の薛広徳を御史大夫とした。
郅支単于と諸葛豊
- はじめ郅支単于は漢が呼韓邪単于を庇護するのを怨み、自分の侍子の返還を求めた。漢は衛司馬の谷吉を遣わして送らせたが、郅支単于は吉を殺し、康居に身を寄せて住んだ。
- 当時、諸葛豊が司隷校尉として弾劾に回避するところがなく、京師では「しばらく会わぬと思えば、諸葛に出くわしたか」と言い合った。皇帝はこれを嘉して豊に光禄大夫・侍中を加えた。
- 許章が法度を守らず、賓客が法を犯して章まで連座した。豊は章を弾劾して奏そうとし、たまたま章が私用で外出したところに出くわしたので、車を止めて節を挙げ、章に獄へ下るよう詔を伝えた。章は窮して車を駆って逃げ、豊は追ったが、章は宮中に入って上に自ら訴え出た。豊もまた上奏したが、そこで豊の節が取り上げられた。司隷が節を持たなくなったのは豊から始まった。