- 春正月、亀茲王とその夫人が来朝した。亀茲の夫人は烏孫公主の娘であり、漢の外孫を娶ったことを理由に朝見を願い出た。帝はこれを受け入れて手厚く贈り、夫人を公主と号した。
- 亀茲王は漢の衣服と制度を気に入り、帰国して宮室を造り、巡回路と周衛を設け、出入りには先払いの声をかけ鐘鼓を打ち鳴らして漢家の儀に倣った。外国ではこれを評して「驢馬でもなく馬でもない。亀茲王とは、いわゆる騾馬である」と言った。
- 杜陵の東の原上を初陵とし、杜県を改めて杜陵とした。丞相・将軍・列侯・吏二千石で資産百万の者を杜陵に移住させた。
- 鳳凰が太山と陳留に集まり、甘露が未央宮に降った。
- 三月、天下に恩赦し、勤めた者を移し、吏民に爵を賜り、鰥寡孤独に帛を賜った。
- 夏五月、皇考の廟を立て、奉明の国邑を百戸増やして奉明県とした。担当官が奏上した――礼では、父が士で子が天子なら天子の礼で祭る。悼考の園には尊号を奉って皇考と称し、廟を立て県を置くべきである――と。戻夫人を尊んで戻太后とし、園廟と奉邑を置き、戻園の奉邑もそれぞれ三百家に満たした。
- 高祖の功臣である絳侯周勃ら三十六人の子孫を復して代々嗣を絶やさぬこととし、直系の後嗣がない者はその次の者を復した。
- 秋八月、詔して文学に通じた者を挙げさせた。
- 冬、建章衛尉を置いた。