前漢紀前漢孝宣皇帝紀一 皇帝即位 前74年

即位前の境遇

  • 宣帝は生後数か月で巫蠱の事件に巻き込まれ、郡邸獄に幽閉された。廷尉監の魯国の邴吉(字は少卿)は郡邸獄で巫蠱事件を扱っており、曾孫(宣帝)に罪がないのを憐れんで、女囚のうち謹厚な者を選んで養育させ、風通しのよい乾いた場所に置いた。
  • 望気者が「長安の獄中に天子の気がある」と言ったので、武帝は使者を遣わして中都官の獄の囚人を手分けして皆殺しにしようとした。使者が郡邸獄に至ると、邴吉は門を閉ざして拒み、「皇孫がここにおられる。他人でさえ無実で死なせてはならぬのに、まして親曾孫であるぞ」と言った。使者は夕方から明け方まで入れず、帰って報告し、邴吉を弾劾する上奏をした。
  • 武帝も悟って「天がそうさせたのだ」と言い、天下に恩赦した。郡邸獄の巫蠱事件の者も判決に至らなかった。曾孫は五年拘禁され、その間、邴吉は私財で衣食を給し、面倒をよく見て厚い恩を施した。
  • のち掖庭令の張賀に引き取られた。張賀はかつて衛太子に仕えており、曾孫を丁重に養い、私財を出して援助した。成人すると、暴室嗇夫の許広漢の娘を娶らせ、許広漢の兄弟と祖母の家である史氏を頼りとした。
  • 東海の澓中翁について詩を学び、才が高く学問を好んだ。足の裏に毛があり、居所にはしばしば神々しい光が照り輝いた。餅を買えばその店は必ず大いに売れたので、自分でも不思議に思っていた。

即位

  • 秋七月庚申、召されて未央殿に入り、武陽侯に封じられ、そのまま皇帝の位に即いて高廟に参拝した。時に十八歳。
  • 八月己巳、丞相楊敞が薨じた。九月、天下に大赦。戊寅、御史大夫蔡義が丞相となった。蔡義は老齢で背が低く、二人の吏に支えられてやっと歩ける有様で、人々は「大将軍は言いなりになる者だけを使う」と言った。霍光はこれを聞いて「天子の師である以上、丞相にするのは当然だ。何を言うか」と述べた。もともと蔡義は詩を昭帝に授けた人物で、学を守るだけで過失がないという程度の人物だった。
  • 戊辰、左馮翊の田広明が御史大夫となった。
  • 冬十一月、皇后に許氏を立てた。群臣が誰を立てるか議論していたとき、帝は微賤のころの古い剣を探し求めた。群臣はその意を察し、許婕妤を皇后に立てるよう奏上した。父の許広漢は刑を受けた身であり高位にふさわしくないとして昌成君に封じられ、のち平恩侯に封じられた。皇后は長楽宮に帰り、長楽宮に初めて屯衛が置かれた。