前漢紀前漢孝昭皇帝紀 六年 前81年

  • 春正月、帝が上林苑で耕作の儀を行った。
  • 二月、詔して担当官に賢良・文学を推挙させ、民の苦しみを問い、塩鉄専売と酒の専売の廃止を議論させた。
  • 中郎将蘇武が匈奴から帰還した。

蘇武の帰還

  • 蘇武は京兆の人で、元将軍蘇建の子。匈奴への使者となった際、張勝が副使、常恵らが節を仮されて従った。
  • 当時、渾邪王の姉の子である句町王と長水の虞常は、いずれも以前に漢に帰属したのち匈奴に降っていたが、再び漢に戻ろうと、匈奴の近臣衛律の殺害を謀った。衛律はもと長水の胡人で、漢中に生まれのち匈奴に降った者である。
  • 常恵と親しかった張勝はこの謀を知っていた。事が発覚して張勝が蘇武に告げると、蘇武は「こうなっては必ず自分に累が及ぶ。禍を受けてから死ぬのでは遅い」と自殺しようとしたが、常恵らが止めた。
  • 単于が蘇武を召して尋問しようとすると、蘇武は「節を屈し使命を辱めては、何の面目あって生きられよう」と佩刀で自刎した。半日ほど絶命していたが蘇生した。単于はその節義を称え、降そうとした。
  • 傷が癒えたころ、単于は虞常らを殺すにあたり蘇武らを立ち会わせ、その場で降伏させようとした。まず虞常らを打ち、衛律が剣で張勝を脅すと張勝は降伏を願い出た。次に衛律が剣を蘇武に向けたが、蘇武は微動だにしなかった。
  • 衛律は言った。「私はかつて漢に背いて匈奴に帰し、王の号を賜り数万の衆を擁している。蘇君も今日降れば明日には同じだ。むなしく身を草野の肥やしにして誰が知ろう。私を介して降り、兄弟となられよ。今この計に従わねば、再び私に会いたくとも叶うまい」。
  • 蘇武は怒って罵った。「臣下でありながら不忠で夷狄に寝返った者と、なぜ兄弟になどなろうか」。
  • 衛律は蘇武を脅せぬと悟った。単于はどうしても降そうと、蘇武を大きな地下窖に入れ飲食を断った。七日、天から雪が降ると、蘇武は雪と旃の毛を噛んで飲み込み、数日たっても死ななかった。
  • 単于は蘇武を北海のほとりの無人の地に移し、牡羊を放牧させて「羊が乳を出したら漢に帰してやる」と言った。蘇武は野鼠や草の実を掘って食い、漢の節を杖にして羊を飼い、寝ても起きても節を握り続け、飾りの毛はすべて落ちた。
  • 五、六年たったころ、単于の弟の於靬王が北海で狩りをし、蘇武が網を結び弓弩を修理できるのを見て気に入り、ひそかに衣食を与え、馬や家畜を賜った。三年余りで於靬王が死ぬと、丁零が蘇武の牛羊を盗み、蘇武は再び窮迫した。
  • ちょうど李陵が匈奴に降っており、単于は李陵に蘇武を説得させた。李陵は言った。「私が来たとき、あなたの母上はすでに亡くなり、妻は再嫁し、兄弟も罪を得たり病死したりして、家族は絶えた。単于はどうしてもあなたを降そうとしており、あなたが帰れる日は来ない。人生は朝露のようなもの、なぜこうも長く自らを苦しめるのか。私も来たばかりのころは狂うほど心乱れ、漢に背いた痛みに苛まれた。あなたが降らぬからといって、私より重い立場でもあるまい」。
  • 蘇武は答えた。「臣が君に仕えるのは子が父に仕えるのと同じ。子が父のために死ぬのに恨みはない。もう言わないでほしい」。
  • 李陵は数日蘇武と酒を飲み、なお「ひとつ私の言うことを聞いてくれ」と迫った。蘇武は「死は疾うに覚悟している。どうしても降らせたいなら、今日の宴を終えたのち、あなたの前で死んでみせよう」と応じた。
  • 李陵はその至誠を見て嘆息した。「ああ義士よ。私と衛律の罪は天に届く」。涙が襟を濡らし、蘇武と別れて去った。
  • のち蘇武は武帝崩御を聞き、南に向かって数日号泣し、血を吐いた。昭帝が即位して匈奴と和親し、漢使が匈奴に至ると、常恵はしばしばひそかに使者に会って入れ知恵をした。使者は単于に「陛下が上林で射た白雁の足に帛の丹書が結ばれ、蘇武らが荒沢にいると記されていた」と告げた。単于は驚き、蘇武らが実在すると認めて謝り、帰国を許した。
  • 李陵は酒宴を設けて祝った。「今あなたは帰り、名は匈奴に揚がり功は漢朝に顕れる。竹帛の記録も丹青の絵も、これに及ぶまい。私は駑鈍臆病だが、漢がもし私の罪を許し老母を全うさせてくれたなら、大恥をそそぐ節義を奮い、曹劌が柯の盟でしたようなことを志したのだ。それを忘れた日はない。だが今、漢は私の一族を誅滅し世の大戮とした。もはや何を顧みよう。私は終わりだ。ただあなたに私の心を知ってほしかった。異域の人となり、一度別れれば永遠だ」。
  • 李陵は立って舞い歌った――万里を経て沙漠を渡り、将軍となって匈奴に奮戦した。路は窮まり矢も石も尽き、士卒は滅び名は頽れた。老母はすでに死に、恩に報いようにも帰る所がない、と。
  • 単于はついに蘇武を漢に帰した。李陵は匈奴で生涯を終えた。蘇武が出発した当初は百余人、匈奴に十九年、ともに帰還できたのは九人だった。
  • 詔により蘇武は武帝の陵園と廟に参拝し、典属国に任じられ、銭二百万・公田十二頃・宅一区を賜った。常恵・徐勝・趙終・王良らは郎中に任じられ帛各二百匹、他の六人は銭各十万を賜って帰家し、終身の課役免除を受けた。

その他

  • 夏、大旱魃があり雩祭を行った。
  • 秋七月、酒の専売官を廃止した。天水・隴西・張掖から各二県を割いて金城郡を置いた。
  • 鉤町侯の無波が配下の君長・人民を率いて反乱者を撃ち功があったので、無波を鉤町王に立てた。