馬何羅の謀反
- 春正月、甘泉に行幸して泰畤を郊祀し、そのまま安定に行幸した。
- 昌邑王の劉髆が薨去し、哀王と諡された。
- 夏六月、御史大夫の商丘成が罪を得て自殺した。
- 侍中僕射の馬何羅とその弟の重合侯の馬通が謀反したので、侍中駙馬都尉の金日磾、奉車都尉の霍光、驃騎都尉の上官桀がこれを討った。
- はじめ馬何羅は江充と親しく、馬通は太子を誅したときの功で封ぜられていた。武帝が江充の一族を滅ぼすと、馬何羅兄弟は恐れた。金日磾はその様子が尋常でないと見て、ひそかに動静をうかがった。馬何羅もそれに気づいて事を起こせずにいた。
- 武帝が林光宮に行幸したとき、金日磾は病んで詰所に臥していた。馬何羅は弟の馬通と末弟の馬安成とともに、使者を殺し、節を偽って兵を動員する計を立てた。
- 翌朝、武帝がまだ床から起きないうちに、馬何羅が何食わぬ様子で外から入ってきた。金日磾は胸騒ぎがして、戸の内側に入って座った。しばらくして馬何羅は袖に白刃を隠して東の廂から入ってきた。武帝を見ると顔色を変え、走って寝所に入ろうとしたが、宝の瑟にぶつかって倒れた。金日磾がこれを抱き止め、「馬何羅が謀反した」と告げた。側近が斬ろうとしたが、武帝は金日磾に当たるのを恐れて「斬るな」と言った。金日磾は馬何羅を掴んで殿下に投げ落とし、捕らえて縛ることができた。徹底的に取り調べて、みな罪に服した。
- 秋七月、地震があり、あちこちで水が噴き出した。