南巡と封禅
- 冬、武帝は南に巡って盛唐に至り、九嶷を望んで虞舜を祀り、灊の天柱山に登った。潯陽から長江に舟を浮かべ、自ら江中の鮫魚を射て仕留めた。そのまま北へ琅邪に至り、蒲浪の海沿いを行き、通過した地では名山大川を礼をもって祀った。
- 春三月、泰山に戻って封土を増した。甲子、明堂で高祖を祀って天に配し、諸侯王・列侯の朝見を受け、郡国からの会計報告を受けた。
- 夏四月、天下に大赦し、鰥寡に絹帛を、貧窮者に粟を賜り、行幸した県には租賦を免除した。
衛青の死
- 大司馬大将軍の衛青が薨去し、烈侯と諡された。
- 衛青が尊貴になったころ、平陽侯の曹孛が悪疾を得て封国に帰り、そこで薨去した。長公主が「列侯のうち誰が賢者か」と尋ねると、側近はみな大将軍の名を挙げた。公主は笑って「あれは以前わたしの供をして馬に乗っていた者ですよ。それをどうして」と言った。側近が「いまや尊貴なこと並ぶ者がありません」と言うと、公主は太后にほのめかし、太后が武帝に告げた。武帝は詔して衛青を平陽公主に娶わせた。のちに公主と合葬され、廬山を象った墓が築かれた。
刺史と非常の人を求める詔
- はじめて刺史部十二州を置いた。
- 詔を下した。およそ非常の人があってこそ非常の功があり、非常の功は非常の人を待って成る。だから馬には跳ね暴れながら千里を走るものがあり、士には世俗の非難を負いながら功名を立てる者がある。州郡に命じて、官吏・民のうち才能が抜きん出て将相たりうる者、遠国への使者たりうる者を察挙して報告させよ、と。