賢者を推挙しない罪を議させる詔
- 冬十一月、詔を下した。十戸の村にも必ず忠信の者がおり、三人歩けばそこに師がいるというのに、いまや郡をあげて一人も推挙しない者がある。これでは教化が下に行き渡らず、行いを積んだ君子が上聞を妨げられている。賢者を推挙すれば上賞を受け、賢者を覆い隠せば公開の処刑を受けるのが古来の道である。よって賢者を推挙しない者の罪を議せよ、と。
- 担当官が議して奏上した。古代、諸侯が士を貢進して一度かなえば好徳、二度かなえば賢賢、三度かなえば有功と称して九錫を加え、逆に貢進しなければ一度目は爵を、二度目は領地を削り、三度目は爵地ともに奪った。下に迎合して上を欺く者は死罪、上に迎合して下を欺く者は刑罰、国政に関与しながら民の利にならぬ者は罷免、上位にありながら賢者を進めぬ者は退けるべきである。これが善を勧め悪を退ける手立てである。孝を推挙しないのは詔を奉じないことで不敬として論罪し、廉潔の者を察挙しないのは任に堪えないので免職とすべきだ、と。奏は認可された。
諸侯と辺境
- 十二月、江東王の劉非が薨去し、易王と諡された。劉非は武勇を好んで力があり、宮室を造営して四方の豪傑を招き、驕奢がはなはだしかった。
- 春三月甲子、衛氏を皇后に立て、天下に大赦した。
- 秋、匈奴が遼西に侵入して太守を殺し、漁陽・鴈門にも侵入して都尉軍を破った。将軍衛青を鴈門から、将軍李息を代から出撃させ、数千級の首級・捕虜を得た。
- 東夷の穢貊の君長である南閭らが二十八万人を率いて降ったので、その地に蒼海郡を置いた。
- 魯王の劉余が薨去し、恭王と諡された。劉余は宮室・庭園・犬馬を好んだ。
- 長沙王の劉発が薨去し、定王と諡された。母の唐姫はもと程姫の侍女である。景帝が程姫を召したとき、程姫は都合が悪く、夜に自分の侍女を代わりに差し出した。景帝は酔って気づかぬまま寵し、身ごもったので、生まれた子を「発」と名づけた。母の身分が低く寵愛もなかったため、劉発は低湿で貧しい国に封ぜられた。