前漢紀前漢孝武皇帝紀三 元光六年 前129年

内政と匈奴への出兵

  • 冬、商人の車に対する課税(算商車)を初めて実施した。
  • 春、漕運のための水路を掘って渭水に通じさせた。
  • 匈奴が上谷に侵入し、役人や民を殺し掠奪した。
  • これに対し四将軍を派遣した。騎将軍公孫敖は代から、軽車将軍公孫賀は雲中から、驍騎将軍李広は鴈門から、車騎将軍衛青は上谷から出撃させた。

衛青の出自と台頭

  • 衛青は武帝の寵姫衛夫人(衛子夫)の弟である。父は河東平陽の人、鄭季。鄭季が主家の召使いである衛媼と密通して生まれたため、姓を偽って衛氏を名乗った。
  • 衛青の長姉の君孺は公孫賀の妻である。かつて人相見が衛青を見て「貴人だ、いずれ侯に封ぜられる」と言ったが、衛青は「召使いの子として生まれ、鞭打たれ罵られずに済めば十分だ。侯になどなれるものか」と答えた。
  • 姉の子夫が平陽公主の家の召使いから武帝の寵愛を受けて夫人に立てられると、陳皇后の母である大長公主が衛青を捕らえて殺そうとした。公孫敖が壮士を集めて衛青を奪い返し、これを聞いた武帝は衛青を召して建章監・侍中とした。
  • 子夫の妹の縁で陳掌も引き立てられ、公孫敖ともども登用されて、衛青の寵遇はここから厚くなっていった。

諸将の戦果と李広の脱出

  • この出兵で諸将はいずれも戦果がなく、ただ衛青だけがかなりの首級を挙げ、関内侯の爵を賜った。
  • 李広は匈奴に生け捕りにされた。単于は李広が名将だと聞いており、「李広は必ず生きたまま連れて来い」と命じていた。
  • 李広は負傷していたため、匈奴の騎兵は二頭の馬の間に網の袋を吊るしてそこに乗せた。李広は死んだふりをしてじりじりと身を起こし、隙を見て馬に飛び乗り、匈奴の子どもを抱えたまま鞭を打って南へ走った。数百騎が追ったが、李広はその子どもの弓を奪って追手を射殺し、逃げ切った。
  • 帰還後、李広は罪に問われて獄吏に下され、贖罪して庶人となった。

その他

  • 夏、大旱魃と蝗害があった。
  • 六月、雍に行幸した。
  • 秋、匈奴が辺境を侵したので、将軍韓安国を派遣して漁陽に駐屯させた。