- 冬十一月、西南に彗星が現れた。天下の男子は二十歳から賦を課すこととした。
- 春三月、皇子の徳を河間王、閼を臨江王、余を淮陽王、非を汝南王、彭祖を廣川王、發を長沙王に立てた。
- 夏四月壬午、太皇太后が崩じた。
- 六月、丞相の申屠嘉が薨去した。当時、内史の晁錯が寵愛を受け、太上皇の廟の壖垣を穿って舎の門としていた。申屠嘉は晁錯を誅するよう上奏しようとしたが、晁錯が先に天子に自ら申し出た。天子は「あれは真の廟垣ではないし、私がそうさせたのだ。錯に罪はない」と言った。申屠嘉は「先に錯を誅さなかったのが悔やまれる。してやられた」と言い、血を吐いて死んだ。
申屠嘉と鄧通
- 申屠嘉は廉直な人であった。かつて鄧通が文帝に侍って無礼な態度をとったとき、嘉は「朝廷の礼は厳粛でなければならない」と言った。文帝は「言うな、あれは私の可愛がる者だ」と答えた。
- 朝が退けると嘉は檄を出して鄧通を召した。鄧通は恐れて文帝に申し出た。帝は「まず行け。私がすぐに召し戻す」と言った。鄧通が至ると嘉は責めて言った。朝廷は高皇帝の朝廷である。通は小臣の身で殿上でふざけた。大不敬であり斬に当たる、と。鄧通は頓首して血を流したが赦されない。文帝が使者に節を持たせて鄧通を召し、丞相に「これは私の弄臣だ。放してやってくれ」と謝ったので、鄧通はようやく免れた。
竇嬰の直言
- 秋八月丁巳、御史大夫の陶青翟が丞相となり、左内史の晁錯が御史大夫となった。蕭何の曾孫の嘉を列侯に封じた。これに先立ち、嘉の兄の則が罪を得て侯を失っていた。
- 梁王が入朝し、天子は太后の前で宴を開いた。天子がくつろいだ調子で「万歳の後は王に伝えよう」と言うと、太后の従兄の子である詹事の竇嬰が進み出て言った。天下は高帝の天下であり、父子相伝が漢の法である。陛下がどうして梁王に伝えられようか、と。太后は怒って竇嬰を宗室の属籍から除き、竇嬰は免ぜられた。
- 匈奴と和親した。