- 春、黄龍が成紀に現れた。天子は公孫臣を召して博士とし、土徳に従うこととした。
- 夏四月、天子は雍に行幸し、初めて郊祀して五帝を祀り、名山大川の祀を修めた。
賢良への策問と晁錯の対策
- 秋九月、賢良で直言する者を挙げさせ、天子が策問した。有司が挙げたのは、国家の大体に明るい者、人情の終始に通じた者、直言極諫できる者である。この三つの道に当たる行いを大いに嘉するので、朝廷に登らせて朕の志を親しく諭す。大夫たちはこの三道の要を上申せよ。朕の不徳、吏の不公平、政の行き渡らぬこと、民の安んじられぬこと、この四つの欠けについて志すところを隠さず述べ、篇に著せ。朕が自ら読む、と。
- 太子家令の晁錯が対えた。五帝は神聖で臣下がそれに勝れなかったので、自ら政事に当たった。動静は上は天に配し下は地に順い、中は人を得た。生あるものはすべて覆われ、根を張るものはすべて載せられた。光明をもって照らして偏りがなく、徳は上は飛鳥、下は水虫・草木・諸産に及び、みなその恵みを被った。その後に陰陽が調い、万物が茂り、妖孽は隠れ、符瑞が現れ、恵沢が天下を潤し、光が四海に及んだ。これが国を治める大体の功である。
- 三王は臣も主も賢明だったので、謀を合わせ互いに助け、政治が人情に達した。人は長寿を望む、三王は生かして傷つけなかった。人は富を望む、三王は厚くして困らせなかった。人は安らぎを望む、三王は寧んじて危うくしなかった。人は逸を望む、三王は力を節して尽きさせなかった。法令は人情に合ってから行い、民を動かすのも人情から出てから行った。人の嫌うことを強いず、人の欲することを禁じなかった。だから天下はその政を楽しみその徳に帰し、百姓は和親し、国家は安寧であった。これが人情の終始に明るい功である。
- 五覇は臣に及ばなかったので、国を委ね政を任せた。五覇の補佐たちは身を慎み法を履み、公を奉じて私がなく、賢者を見ればその上に居らず、禄を受けても分量を過ぎず、利を興し害を除き、賞を明らかにし罰を慎み、直言極諫して主の過ちを補った。徳は天下を匡し、威は諸侯を正した。これが人臣の極諫直言の功である。
- 秦の衰えた世は、法に任せて殺戮し讒賊を信じ、宮室は度を過ぎ、嗜欲は際限なく、法令は煩雑で僭越、刑罰は暴酷であった。姦邪の吏がその乱れた法に乗じて威を作り、上下は瓦解し内外は怨んだ。ゆえに嗣を絶ち世を亡ぼし、異姓の福となった。これが吏の不公平・政の不徹底・民の不安の禍である。
- 対策が上奏されると、晁錯は太中大夫に抜擢された。
- 齊王肥が薨去した。子がなく国は除かれた。