前漢紀前漢孝文皇帝紀下 十一年 前169年

  • 冬十一月、天子は代に行幸し、春正月に代から帰還した。
  • 夏六月、梁王揖が薨去した。子がなく国は除かれた。揖は天子の末子で読書を好み、天子に愛されたので賈誼が傅につけられていた。王が落馬して薨じたため、賈誼は傅としての務めを果たせなかったと自責し、朝夕に泣き暮らして一年余りで死んだ。享年三十。

賈誼の経歴

  • はじめ河南太守の呉公が賈誼を門下の吏とした。呉公は郡の治績が第一と評価されて廷尉に召され、賈誼を博士に推薦した。賈誼は太中大夫に至り、当時二十余歳で、政事を論じ制度の確立を建言した。
  • 天子は賈誼の才を公卿に足ると考えたが、絳侯周勃・灌嬰らがこれを妬み、天子は賈誼を遠ざけた。のち賈誼は長沙王の太傅となり、湘水を渡る際に賦を作って屈原を弔った。
  • 数年後、天子は賈誼を思い出して召した。宣室に座して鬼神の事に心を動かされ、賈誼と夜半まで語り合い、席を移して近づくほどであった。退出後、天子は「久しく賈生に会わず、自分が勝っていると思っていたが、会ってみると及ばぬ」と言い、梁王の太傅に任じた。
  • 賈誼は漢は土徳であると論じた。その著述は全部で五十八篇である。
  • 匈奴が狄道の辺境を侵した。