斉王来朝と鴆酒
- 冬十月、斉王が来朝した。王は帝の庶兄である。帝が太后の前で王と宴飲した際、王を上座に据えて家族の礼をとった。太后は怒り、鴆酒を注いで斉王に献杯させようとした。斉王が立ち上がると帝も立ち上がったため、太后は恐れて自ら杯を取り返した。斉王は不審に思い、酔ったふりをして退出した。
- 斉の内史が王に、城陽郡を献上して魯元公主を尊び湯沐邑とするよう勧めた。太后は喜んで許し、王を国へ帰した。
災異
- 春正月癸酉、蘭陵の民家の井戸に二匹の竜が現れ、乙亥の夕に見えなくなった。「本志」はこれを後の趙王が幽閉されて死ぬ前兆と見ている。
- 隴西で地震があり、天が東北に開いて幅十余丈、長さ二十余丈に及んだ。「本志」に、地が動くのは陰が有り余るしるし、天が裂けるのは陽が足りぬしるしで、人主の力が弱いことに応じる、とある。
- 夏五月、大旱。
- 郃陽侯仲が薨じた。
蕭何の死と曹参の相国就任
- 七月、相国蕭何が薨じた。諡は文終侯。
- 蕭何が病んだとき、帝が自ら見舞って「あなたの百年の後、誰が代われるか」と尋ねた。蕭何は「臣を知る者は君に及ぶものがありません」と答えた。帝が「曹参はどうか」と言うと、「陛下はよい人を得られました。臣は死んでも思い残すことはありません」と答えた。
- 蕭何は田宅を買うとき必ず辺鄙な場所を選び、家に庭や立派な建物を作らなかった。「子孫が賢ければ自分の質素さに倣うだろうし、賢くなければ有力者に奪われる心配もない」と言っていた。
- 癸巳、斉の丞相曹参が相国となった。
曹参の無為の政治
- 曹参が斉にいたとき、長老や学者数百人を集めて当時の政治について問うたが、答えは人それぞれで一致しなかった。膠西の蓋公が黄老の術を修めており、「治政の道は清静を貴び、そうすれば民は自然に安定する」と説いた。曹参は蓋公を師とし、斉の国はよく治まった。
- かつて田栄が項羽に叛こうとしたとき、斉の処士たちを脅して加わらぬ者は死罪とした。斉の処士の東郭先生と梁石君はこの脅しの中に身を隠していたが、田栄が敗れると二人はそれを恥じて深山に隠棲した。蒯通が曹参に「あの東郭先生は隠棲して出て来ない。あなたはまだ礼を低くし節を曲げて士を求めたことがない。どうか礼を尽くされよ」と言い、曹参は承知して二人を上客とした。
- 斉の人の安期生はかつて項羽に仕えようとしたが、項羽はその策を用いなかった。後に項羽が封じようとしたが、安期生は封を受けなかった。
- 曹参は蕭何の訃を聞くと舎人に「急ぎ旅支度をせよ、わしは入朝して相となる」と告げ、果たして使者が曹参を召した。曹参は微賤のころ蕭何と親しかったが、斉の相となってからは仲が悪くなっていた。それでも蕭何は病床で後任に曹参だけを推した。
- 曹参は相国となると蕭何の政治をそのまま踏襲した。郡国の吏で慎み深く実直な者を選んで丞相史に任じ、文章が苛酷で名声を追う者はただちに退けた。日夜酒を飲み、人の細かな過失は一切かばい隠したので、府中には事件が起こらなかった。
- 帝が不審に思って政務を執らぬわけを問うと、曹参は「陛下の聖徳は高皇帝と比べていかがですか」と問い返した。帝は「朕がどうして先帝に及ぼう」と答えた。さらに「陛下から見て臣と蕭何とではいかがですか」と問うと、帝は「あなたは及ばぬようだ」と答えた。曹参は「陛下の仰せのとおりです。高皇帝は蕭何とともに天下を定め、法令はすでに整っています。陛下は手を垂れて構えていられ、臣らは職を守ってそれに従い失わない。それでよいのではありませんか」と述べ、帝は「よし」と言った。
- 民は歌った。蕭何の作った法は物差しで引いた線のように明快で、曹参が代わってもそれを守って失わず、清静を旨としたので民は安らかであった、と。