前漢紀前漢孝惠皇帝紀 元年 前194年

趙王如意と戚夫人

  • 冬、諸侯王の相国を改めて丞相とした。
  • 十二月、趙王如意が薨じた。諡は隠王。
  • これに先立ち、太后は戚夫人を永巷に幽閉し、髪を剃り首かせをはめて米搗きをさせていた。戚夫人は歌った。子は王となり母は囚人となり、日がな米を搗いて死人も同然、へだたること数千里、誰があなたに知らせてくれよう、と。呂后はこれを聞いて「幼い子を頼りにするつもりか」と言い、趙王を召して誅そうとした。
  • 趙の相の周昌は王に病と称させ、使者が三度往復しても王を行かせなかった。呂后はそこで周昌を召し、周昌が到着したところで改めて趙王を召した。
  • 恵帝は太后の怒りを察して自ら覇上まで趙王を迎え、起居をともにして側を離さなかった。数か月後、恵帝が早朝に苑へ狩りに出た際、趙王は早く起きられず、太后は鴆毒で殺した。周昌は病と称して朝見しなくなった。
  • 呂后は戚夫人の手足を切り、目をえぐり、耳を焼き、声を失う薬を飲ませ、便所に置いて「人豚」と名づけた。帝を呼んで見せると、帝は驚いて大声で泣き、そのために一年余り病んで起き上がれなかった。帝は人をやって太后に「これは人のすることではない。臣は太后の子でいられない。とても天下を治められない」と伝え、政務を執らなくなった。

恩賜と遷都

  • 民に爵を賜った。改元最初の年だからである。およそ民に爵を賜るのは恩恵を広め人心を慰めるためで、必ずそれなりの理由があってのことである。
  • 淮陽王を移した。
  • 春正月、長安に城壁を築いた。