韓王信の残党討伐と柏人の未遂
- 冬、高祖は東垣で韓王信の残党を撃った。建武侯の靳歙が功をあげ、車騎将軍に昇進した。
- 帰路に趙を通った際、趙の相である貫高が柏人の亭に伏兵を置き、高祖を襲おうとした。高祖は宿ろうとして胸騒ぎを覚え、「柏人とは人に迫られるということだ」と言って泊まらずに立ち去った。
- そもそも以前に高祖が趙を通ったとき、趙王(張敖)はきわめて謙譲な態度をとったのに、高祖は足を投げ出して座り罵倒し、ひどく辱めていた。貫高は王に「皇帝は王に無礼である、殺させてほしい」と迫ったが、王は自分の指を噛んで血を出し、「先代は国を失ったが皇帝のおかげで回復できた。その徳は子孫にまで及んでいる。二度と口にするな」と拒んだ。
- 貫高らはひそかに「わが王は長者で、恩に背くことは決してない。王を汚すには当たらぬ。成功すれば功を王に帰し、失敗すれば我らだけが罪を負えばよい」と語り合い、王に知らせぬまま単独で謀を進めた。
内政の措置
- 十一月、従軍して死んだ士卒の遺体を本籍の県へ送り返し、衣と衾を支給し、長吏が埋葬に立ち会い、少牢をもって祀るよう命じた。
- 十二月、東垣から帰還した。
- 春三月、洛陽へ行幸し、民が錦・繡・綺・縠・絺・紵といった上等の織物を着ることを禁じた。
- 九月、洛陽から帰還した。