漢書卷九十二 游俠傳第六十二 劇孟
呉楚の乱で「敵国に匹敵する」と評された俠客
- 劇孟、雒陽の人。雒陽の人は元来商賈を生業とするが、劇孟は俠をもって顕れた。呉楚の乱の際、条侯(周亜夫)は太尉として伝車に乗り東へ出陣する途中、河南で劇孟を得て喜び「呉楚は大事を挙げながら劇孟を求めなかった、その無能を知った」と述べた。天下が騒動する中で大将軍が劇孟を得たことは、一つの敵国を得たに等しいとされた。劇孟の行いは朱家に似ていたが博打を好み少年の遊びに興じた。劇孟の母が死んだ際は遠方から会葬に来る者の車が千乗に及んだが、劇孟自身が死んだ時、家には十金の財もなかった。符離の王孟もまた俠をもって江淮の間で称された。この頃、済南の瞷氏・陳周膚もまた豪傑として聞こえたが、景帝はこれを聞き使者を遣り誅殺させた。その後も代の諸白・梁の韓母辟・陽翟の薛況・陜の寒孺らが次々と現れた。