漢書卷七十七 蓋諸葛劉鄭孫母將何傳第四十七 鄭崇
封爵諫止と冤死
- 鄭崇、字は子游。もと高密の大族で王家と代々婚姻を結んだ家柄。貢禹に見出され、哀帝期に尚書僕射として頻繁に諫言、初めは用いられ革靴の音で天子に「鄭尚書」と呼ばれるほど親しまれた。傅太后が従弟の傅商を封じようとした際、成帝が舅五侯を封じた際の凶兆(天変)を引いて「陰陽を犯す者は乱亡・夭折の禍を招く」と諫め、詔案を持ったまま起立して諫めたため傅太后の激怒を買った。董賢寵愛への諫言でも重ねて怒りを買い、尚書令趙昌の讒言により「宗族と通じ姦事あり」と誣告され、獄に下されて死んだ。