漢書卷四十七 文三王傳第十七 代孝王參
代孝王參・その系譜
- 代孝王参は初め太原王として立ち、四年後に代王武(後の孝王)が淮陽に転じたことで代王となり、太原も併せて治めた。十七年で薨じ、子の共王登が継いで二十九年、子の義が継いだ。元鼎中、関を常山に移して要害としたため代王は清河に移され剛王と号し、代での在位と合わせ四十年で薨じ、子の頃王湯が継いで二十四年で薨じ、子の年が継いだ。
- 地節中、冀州刺史の告発により、年が太子の時に異母妹と密通し、生まれた子を殺害しようとした事件が発覚。妻の一族との対立を経て事は公になり、年は淫乱の罪で庶人に落とされ房陵に流された。国は一時除かれたが、元始二年に王莽が興し、年の弟の子如意を広宗王として代孝王の後を継がせた。後に王莽の簒位で国は絶えた。