漢書卷十五 王子侯表第三

上の序文

  • 高祖の建業は偉大であり、その後嗣は代を継いで親族への恩愛を広げていった。武帝の頃になると、諸侯王の領地が制度を越えて僭り、次第に軌を失って子弟が匹夫に落ちる例も出てきた。軽重の釣り合いが取れなくなったため、御史に詔して、諸侯王のうち私恩をもって子弟に邑を分けたい者は各々上奏させ、天子みずからその号名を定めることとした。これにより、支庶の者もみな侯となった。『詩』に「文王の孫子、本支百世」と歌う通り、まことにその言葉どおりとなった。侯の食邑はその郡県を下に書き記すが、書かれていないものは史の欠落であり、あるいは「某人嗣ぐ」とだけ記し、薨じたことだけを記して年月を欠くものもある。いずれも欠文である。

下の序文

  • 孝元帝の代には王子侯に封じられた者がなかった。盛衰の終始はまさに天命というべきか。元始年間、王莽が朝政を専らにするに及んで、宗室の侯や諸王の孫を偽って褒め立てて封じた。居摂の頃にはその数はいよいよ増えたが、正当なものではないため記載しない。旋踵のうちにこれらもまた絶えた。悲しいことである。

表本体について

表本体(王子侯の名・封国・年月の一覧、上下とも)は底本に採録されていないため省略する。