前漢演義第七十八回 六歳の幼女が皇后となり、二十年ぶりに使者が故国へ帰還する (六齡幼女竟主中宮 廿載使臣重還故國)

燕王旦の不満と謀反計画

  • 昭帝の兄・燕王旦と広陵王胥はいずれも即位を望んでいたが、性格を理由に武帝は幼い昭帝を選んだ。燕王旦は武帝の喪に際しても悲しまず、内情を探らせ、鄂邑公主(蓋長公主)の動向を気にかけた。
  • 大将軍霍光は旦の異心を察しつつも表立って咎めず、金銭と加封で懐柔した。旦は不満を隠さず、中山哀王子の劉長・齊孝王孫の劉澤と通謀し、武備を整えて挙兵を企てた。

劉澤の逮捕と燕王旦の赦免

  • 燕王旦は檄文を発して自らの正統性を主張したが、劉澤は青州刺史雋不疑に捕らえられ、謀反が露見。取り調べにより燕王旦の関与も判明したが、昭帝の即位間もないことを配慮し、霍光は旦を処罰せず謝罪のみで済ませた。
  • 雋不疑は功により昇進し、劉成も加増された。

金日磾の死と霍光・上官桀の加封

  • 金日磾は封爵を辞退していたが、重病となり臨終に際して受爵。まもなく没した。子の金賞・金建は幼くして官に就いたが、昭帝が金建にも侯位を与えようとした際、霍光は「先帝の遺命により無功では封じられない」と正論で退けた。
  • 霍光は博陸侯、上官桀は安陽侯に封じられた。ある人物の忠告を受け、霍光は宗室の劉辟強を光祿大夫に登用し、宗室との融和を図った。

六歳の上官皇后擁立

  • 上官桀の子・安は自分の娘(六歳)を後宮に入れようとしたが霍光に反対され、代わりに蓋長公主の愛人・丁外人に取り入った。
  • 霍光は蓋長公主と丁外人の私通を知り、むしろ丁外人を宮中に入れて公主の歓心を得させ、昭帝の世話に専念させようとした。この経緯で上官安の娘は入宮し、皇后に立てられた。
  • 上官安は丁外人への恩返しとして侯爵を求めたが、霍光は功のない者への封爵を認めず、上官桀父子との間に溝が生じた。

雋不疑の名裁きと偽太子事件

  • 雋不疑は京兆尹として厳正だが酷でない裁判で知られ、母の教えを守って冤罪を防いだ。
  • ある日、自ら「衛太子」と名乗る男が現れて都を騒がせたが、雋不疑は歴史の故事を引いて即座に拘束を命じた。取り調べの結果、夏陽の占い師・成方遂による詐称と判明し、処刑された。霍光は雋不疑の見識を高く評価した。

蘇武の帰還

  • 匈奴の狐鹿姑単于が没し、内紛の末に幼い壺衍鞮単于が立った。匈奴は漢との和親を求め、蘇武らの返還が交渉の焦点となった。
  • 蘇武は十九年にわたり匈奴に抑留され、李陵の説得にも節を曲げなかった。家族の不幸を聞いても降伏を拒み続けた。
  • 漢使が雁の足に結ばれた蘇武の帛書の逸話を用いて単于を追及し、蘇武はついに帰国を許された。李陵は自らの立場ゆえに帰国できず、蘇武と涙の別れを交わした。
  • 帰国した蘇武は典属国に任じられ、恩賞を受けた。李陵は匈奴に残り、後に霍光・上官桀の招きにも応じなかったが、蘇武への手紙を託した。

評語

  • 武帝は霍光の忠を見抜いたが上官桀の奸を見抜けなかった点で半得半失と評される。
  • 六歳の孫娘が皇后となった経緯には霍光の落ち度もあり、また蘇武の功に比して恩賞が薄かったことは後の燕王旦の謀反の口実にもなった。霍光は忠厚だが才智に欠けるところがあったとまとめられる。