前漢演義第七十回 汲黯は直言して人を救い、老将李広は道に迷い自刎する (賢汲黯直諫救人 老李廣失途刎首)

寧乗の献策

  • 方士候補で困窮していた斉人の寧乗が衛青に取り入り、「一族の栄華は王夫人の母への配慮にもかかっている」と献策。衛青が王夫人の母に金を贈ったことで、武帝は事情を知り寧乗を東海都尉に任じた。

渾邪王の降伏と汲黯の直諫

  • 匈奴の渾邪王が休屠王を殺して漢に投降を申し出る。霍去病が出迎え、離反しようとした部下八千人を処断しつつ四万余の降兵を連れ帰った。
  • 迎えの馬の徴発が遅れたことに武帝が激怒し長安令を斬ろうとした際、汲黯が「民が馬を差し出さないのは当然」と諫めて命を救った。
  • さらに渾邪王一行への手厚い恩賞や、鉄器売買で捕らえられた庶民数百人への死罪適用に対しても、汲黯は「夷を厚遇し民を薄遇するのは誤り」と諫言し、武帝は刑を軽減した。

渾邪王旧地の処置と金日磾

  • 降伏した匈奴の民は五属国に分置され、渾邪王の旧地には武威・酒泉の二郡が置かれた。休屠王の太子・金日磾(当時十四歳)は官奴として馬の世話をしていたが、武帝の目に留まり侍中に抜擢された。

暴利長の献馬

  • 罪人として辺境に送られた暴利長が、泥人形の計略で野生の駿馬を捕らえ、地方官を欺いて「水中から出た馬」として献上させた。

財政窮乏と酷吏・商人の登用

  • 度重なる遠征と天災(山東の大水害と七十万余の移民)で国庫が窮乏。丞相には李蔡が就き、張湯が御史大夫となって舟車税・塩鉄専売・白鹿皮幣・三銖銭改鋳・均輸法・平準法など一連の増税策を次々に導入した。
  • 商人出身の東郭咸陽・孔僅・桑弘羊らが財政を主導する一方、義縦・王温舒ら酷吏が容赦ない弾圧で治安を維持し、民は困窮した。

卜式の輸財

  • 牧畜で財を成した卜式が匈奴討伐の資金として私財の半分を献上したいと申し出るが、公孫弘に矯情と疑われ一度は退けられる。後に改めて献金し、武帝に認められて中郎、後に緱氏令に任じられた。

元狩四年の大遠征と李広の最期

  • 元狩四年、衛青・霍去病がそれぞれ五万騎を率いて出撃。李広は老齢を理由に反対されながらも前将軍として従軍を許された。武帝は衛青に「李広に単于と直接当たらせるな」と密かに命じた。
  • 衛青は李広を東の迂回路に回し、自らは主力を率いて単于本営を急襲。単于は夜陰に紛れて脱出したが、衛青は趙信城の食糧を得て引き揚げた。
  • 遅参した李広は責任を問われることを潔しとせず、「六十余で今さら刀筆の吏に申し開きはできぬ」と将士に別れを告げて自刎した(趣旨の詩:老いて封侯を得られなかった運命を悼む)。

評語

  • 渾邪王の降伏を喜び、長安令を斬ろうとし、財政のために酷吏や商人を用いたことは、いずれも匈奴討伐のための施策であった。暴利長の献馬や卜式の輸財もまた時勢に迎合したもの。
  • そうした中で汲黯だけが繰り返し直諫し、道理をもって夷を御し義をもって人を救ったことは、漢廷の公卿の中で並ぶ者がないと評する。李広の自ら従軍を願い出て道に迷い憤死したのは武人の意気地によるもので、不幸というより必然であり、衛青を責めるには及ばないとする。