前漢演義第六十八回 衛氏の舅甥が相次いで戦功で封侯され、淮南王父子は謀反の罪を問われる (舅甥踵起一戰封侯 父子敗謀九重討罪)
平陽公主、衛青に嫁ぐ
- 前将軍の女主人であった平陽公主(曹寿の未亡人)が、従者の勧めで元の使用人だった衛青との再婚を望む。衛皇后に取り持ちを頼み、武帝も詔を下してこの縁組を許した。盛大な婚礼が行われ、衛青は平陽公主を娶った。
汲黯への武帝の特別な礼遇
- 武帝は汲黯にだけは冠を整えねば会わないほど気を遣い、他の重臣にはそこまでの礼を払わなかった。汲黯が病で伏せていた際、嚴助が武帝に「汲黯は社稷の臣である」と評した。しかし学問の傾向(黄老)や直言のため、武帝は敬いつつも汲黯の諫言をあまり用いなかった。
衛青・霍去病の北伐
- 元朔六年、匈奴が代・雁門・定襄・上郡を侵すと、武帝は衛青を大将軍として諸将を率いさせ出撃させた。衛青の甥・霍去病(十八歳)も嫖姚校尉として初陣に出る。
- 前将軍趙信は敗れて匈奴に降伏し、右将軍蘇建は部隊を失いながらも単騎で帰還した。衛青は軍議の末、蘇建を独断で斬らず朝廷の裁定に委ねる判断をした。
- 霍去病は八百騎を率いて単独で敵陣深く進み、匈奴の要人を討ち取る大戦果を挙げ、冠軍侯に封じられた。張騫(西域の地理に通じていた功)も博望侯に封じられた。
趙信の献策と売官の弊
- 匈奴に降った趙信は、単於に対し漢と正面から戦わず疲弊を待つ持久策を献策した。
- 相次ぐ出兵で国庫が窮乏し、朝廷は売官(武功爵)を始めた。これが後の売官の弊風の始まりとなった。
白麟の瑞祥と改元
- 雍での祭祀の折、白い一角獣(麒麟とされた)が捕らえられ、瑞祥として献上された。終軍らがこれを外夷帰服の兆しとこじつけ、武帝は喜んで元狩と改元した。
淮南王安・衡山王賜の謀反
- 淮南王劉安と衡山王劉賜(ともに劉長の子)が謀反を企てる。劉安は学者を厚遇し『淮南子』を編纂する一方、田蚡と密かに後継を約する陰謀を進めていた。
- 劉安は娘の劉陵を都に送り込み、廷臣(鄂但・張次公ら)と通じさせて内情を探らせた。
- 淮南太子劉遷は妃と不仲になり離縁。さらに剣術で恨みを買った郎中の雷被が長安に逃れて謀反を告発した。武帝は劉安の領地の一部を削るにとどめたが、劉安は不満を募らせ挙兵の準備を進めた。
- 劉安の庶長子の子・劉建が朝廷に密告し、太子劉遷の悪事が発覚。丞相公孫弘も追及を強め、事態は切迫。太子劉遷は自害を図るも未遂に終わったところで、朝廷の大軍が王宮を包囲した(趣旨の詩:自業自得で逃れられぬ死を招くと詠む)。
評語
- 衛青がしばしば勝利を収めたのは天の助けもあり、霍去病もまた同様と評する。舅と甥がともに功を立てたのは漢代史上稀な例である。
- 淮南王劉安は様々な策謀を巡らせたが、頼みとした子女がかえって一族滅亡の原因となった。家すら治められぬ者が天下を望んでも、滅びは免れないと評する。