前漢演義第五十九回 母と姉を迎えるため自ら御駕を馳せ、姉の家で喜んで歌姫に出会う (迎母姊親馳御駕 訪公主喜遇歌姬)
趙綰・王臧の後始末
- 竇嬰・田蚡は連座して免官。申公も病と称して致仕し、明堂辟雍の議は立ち消えとなる。丞相には栢至侯許昌、御史大夫には武疆侯荘青翟が就き、太尉職は廃止された。
万石君石奮一族の家風
- 河内出身の石奮は高祖に仕えて以来、四代にわたり謹厳な家風で知られ、子四人がみな二千石に至り「万石君」と号された。竇太皇太后は儒者より石奮一族の実直さを武帝に勧め、長子建は郎中令、少子慶は内史に任じられる。
- 建は老いてなお父の衣を密かに洗い、上奏文の「馬」の字の点が一つ欠けているだけで震え上がるほど謹直だった。慶は一度、酔って里門で車を降りず父に叱られたが、以後は改め、武帝の御者としても細心に努めた。
王太后の異父姉、金氏を迎える
- 弓高侯韓頽当の庶孫、韓嫣(王孫)は武帝が膠東王だった頃からの側近で寵愛が篤かった。韓嫣は、王太后が金氏に嫁いでいた頃に生んだ娘(武帝の異父姉)の存在を武帝に告げる。
- 武帝は自ら長陵へ赴き、金氏の家を囲んで娘(俗女)を探し出させる。おびえて寝台の下に隠れていた金女はようやく引き出され、御前に召される。
- 武帝は彼女を「大姉」と呼んで宮中に伴い、王太后と対面させる。太后は涙して娘を認め、家況(夫亡く貧しい)を聞く。武帝は金千万・奴婢三百・田宅を与え、修成君の号を賜う。三人の実の姉妹(平陽・南宮・隆慮の三公主)も呼ばれ、一同で宴を催した。
- 後日金女の夫は急死するが、金女は厚遇を受けて子女とともに安穏に暮らした。
平陽公主邸での出会い
- 建元二年三月、武帝は霸上での祓禊の帰途、平陽公主邸に立ち寄る。公主は皇后陳氏に子がないことから密かに養っていた美女十余人を勧めるが、武帝の意に適わなかった。
- 続いて歌姫たちが呼ばれ、その中の衛子夫という娘の歌声と美貌に武帝は心を奪われる。更衣室で契りを結び、公主は子夫を武帝に献上、賞金千斤を得る。子夫は公主に見送られ、その夜のうちに宮中へ入る。
陳皇后の嫉妬
- 帰宮した武帝と子夫は皇后陳阿嬌に見咎められ、武帝は「平陽家の奴婢」と偽るが、皇后は怒って立ち去る。武帝は長公主(皇后の母)への配慮から皇后をなだめ、子夫を冷宮同然に一年余り放置することになった。
- ある時、宮女の整理淘汰が行われ、子夫も出宮を願い出て武帝の前に進み出る。武帝はこれを見て憐れみ、思いとどまらせ、翌夜あらためて召し出す。子夫は「陛下に近づけば正宮に知れて命が危うい」と案じるが、武帝は「ここなら知られない、夢に梓(子に通じる)を見た、そなたが子を授けてくれるのでは」と語り、再び契りを結ぶ。子夫はこれより懐妊する。
評語
武帝が金氏の娘を大掛かりに車駕を連ねて迎えたのは、孝行を名目にしながら実は生母の過去(前夫との間柄)をかえって世に晒す結果となり、後世の模範とはなし難い。平陽公主が武帝に子がないことを理由に美女を蓄え衛子夫を進めたのも、表向きは皇統のためと言えなくもないが、実際は取り入りの下心によるものであり、後の巫蠱の獄や長門宮幽閉の遠因ともなった。武帝が金氏を迎え、公主が衛子夫を献じた行いは、一見美談のようで実は共に問題を孕んでおり、姉弟して似た気質であったと言うべきである。