前漢演義第045回 陸賈の言で将相が和解し、斉の兵と結んで権奸を退ける (聽陸生交歡將相 連齊兵合拒權奸)
朱虚侯劉章の反骨
- 劉氏の血を引く若者・朱虚侯劉章は宿衛として仕えながら密かに漢室再興を志していた。呂禄の娘を妻に迎え、円満な夫婦仲を装いつつ内実を探っていた。
- ある宴席で呂后から酒吏に任じられた劉章は「軍法で監督する」と申し出て許され、酒宴の途中「耕田の歌」にかけて暗に呂氏批判を歌った(詩:良い苗以外は間引くという比喩で呂氏排除を示唆)。さらに逃げ出した呂氏の一族を軍法だと称してその場で斬り捨て、一同を震え上がらせた。
- この一件で呂氏一族も劉章を恐れるようになり、陳平・周勃らも劉章に一目置くようになった。
陳平と周勃の連携
- 呂嬃は陳平を讒言したが、呂后は取り合わず、逆に呂嬃を人前でたしなめた。陳平は酒色に溺れる様子を装って警戒を解きつつ、内心では「安劉」を志していた。
- 大中大夫の陸賈は隠居生活を送っていたが、陳平の懮いを見抜き「相と将(陳平と周勃)が結束すれば天下は安定する」と説き、両者の和解・連携を仲介した。陳平は周勃をもてなし、金品を贈って交誼を結んだ。
- 陳平は陸賈にも厚く報い、陸賈は公卿の間を回って反呂氏の空気を醸成した。
呂后の死と諸呂の警戒
- 呂后は禊の帰路、蒼犬のようなものに脇を噛まれる怪異に遭い(占いでは趙王如意の祟りとされた)、以後体調を崩し床に伏した。
- 死期を悟った呂后は呂禄を上将軍として北軍、呂産に南軍を統べさせ、「自分の死後も兵で宮廷を固め、葬送にも出るな」と厳命した。
- 呂后は未央宮で崩御。遺命により呂産が相国、審食其が太傅、呂禄の娘が皇后となった。呂産・呂禄は厳重に宮廷を守り、陳平・周勃らも手を出せずにいた。
斉での挙兵
- 劉章は妻を通じて情勢を探り、兄の斉王劉襄に挙兵を促す使者を送った。斉相・召平が王宮を包囲したが、中尉・魏勃が偽って召平の兵権を奪い、召平は自殺に追い込まれた。劉襄は魏勃を将軍として挙兵の準備を整えた。
- 斉は瑯琊王劉澤を味方に誘い、済南(もと呂氏の領地)を攻めさせた。同時に諸呂の罪状を並べた檄文(高祖の遺命に反して呂氏が擅権していることを非難する内容)を諸国に発した。
- 呂産・呂禄は灌嬰に大軍を与えて迎撃させたが、灌嬰は滎陽で進軍を止め、密かに周勃・斉王と通じて情勢を静観した。
- 瑯琊王劉澤は斉王に「自分が長安に赴いて後継問題を取り仕切る」と説いて斉から脱出、独自に西へ向かった。
呂氏切り崩し工作
- 長安では陳平・周勃が内応の機をうかがっていた。陳平は酈商を人質のように招き、その子・酈寄を通じて呂禄に「兵権を返上して趙国に帰るべきだ」と説かせた。
- 呂禄は心が動くが決めかねているうち、叔母の呂嬃に「軍を離れれば呂氏は滅びる」と厳しく叱責され、財宝を投げ出して嘆く様子を見せられる。酈寄はこの動揺を陳平・周勃に密告した。
評語
- 陳平・周勃がかつて「後日は君に負けない」と豪語しながら、呂后存命中は手を出せず、陸賈の仲介を待ってようやく結束したことを智勇に欠けると批判する。
- 劉章が密かに斉王に挙兵を促さなければ内乱は起きず、呂産・呂禄が宮廷を固めたままでは事態は動かなかったはずだとし、後の呂氏討滅は陳平・周勃の実力というより僥倖に過ぎないと結論づける。